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『評伝 中勘助』の執筆を終えて(9)

●「鳥の物語」の消息を語る

・昭和二十年(一九四五年)
・・・鶴の話 雲雀の話 の第一草稿ができました。短い童話です。忘れたじぶん手を入れて第二草稿、それに手を入れて原稿になり、それから二度手を加へて発表ですからまだいつのことかわかりません。二三日うちに雉子の話に着手します。(昭和二十年九月十三日付、松原君子宛書簡より)
 
私は相当量の随筆のほかに鶴の話とひばりの話の第一草稿をかきあげました。これまでの鳥の話よりもつともつと童話的なもので長さも三分の一ぐらゐかと思ひます。忘れたじぶんに見なほして第二草稿をつくり、それに手を入れて原稿にし、それに二階ほど細い手を入れてから発表するのですからまだ前途遼遠です。(昭和二十年九月十五日付、石井正之助宛書簡より)
 
鳥の話は 鶴の話 雲雀の話 雉子の話 の次に白鳥の話ができて一息、鶯と郭公の話 九官鳥の話 を書きたいと思つてゐますが気候がそれまで待つてゐてくれますかどうか。(昭和二十年十一月十五日付、松原君子宛書簡より)
 
私は鶴、ひばり、雉子、白鳥の話の草稿をまとめ今は鶯と郭公の話を書いてゐます。(昭和二十年十二月五日付、志賀直哉宛書簡より)
 
鶯の話といふのを半分かいたが、なかなか出来がいい。(昭和二十年十二月十三日付、小宮豊隆宛書簡より)
 
私が童話、特に成人のための童話-適当な名が見つからない-を作ることを思いついたのは平塚海岸に住んでた時だった。それが一群の鳥の物語になったのは最初の一つが鳥-鶴の話だったからだろう。しかしそれを単純に味よく纏めるのに暇どってるうちに題材になる話のある雁のほうが先に出来た。で、大汗の前で席次としては鶴が首席であるべきのをこの本では稿了順発表順によって「後の雁が先」になっている。はじめ二十羽ほど選ばれた鳥のうち三十年後の今日やって十羽が語りおわってところである。(角川書店版全集、第三巻「あとがき」より)

・昭和二十一年(一九四六年
やうやく「鶯の話」を完成しました。(昭和二十一年六月三日付、稲森道三郎宛書簡より)
 
私は「鶴の話」といふ童話をかきました。(昭和二十一年七月二十三日付、松原君子宛書簡より)
 
昭和二十七年(一九五二年)
ほかに「鷹の話」九十五枚完成。これはまだ嫁入先がきまりません。執筆の為疲労困憊、休養のつもりで気儘な読書をしてをります。(昭和二十七年六月三十日付、坂村真民宛書簡より)



 
 

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