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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (11) ドイツ留学

 医科大学を卒業して青山内科の助手になった金一はまもなく洋行することになり、文部省から「内科學研究の爲メ満三箇年獨國ヘ留學ヲ命ス」という辞令が交付されました。辞令の日付は明治35年8月1日。この年の3月末日に東京府第四中学を卒業した中先生は7月に入って高等学校の入学試験に応じ、合格発表を待っているところでした。辞令が出てから出発するまでの期間はごく短く、9月5日の官報で「八月二十三日出発」と報じられました。文部省外国留学生の資格で、期間は満3年間と定められました。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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