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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (122) 我孫子訪問記(その1)

 昭和47年5月の末のある日、我孫子の手賀沼のほとりに出かけたことがあります。すでに半世紀になろうとする昔日の出来事です。上野駅から常磐線の急行に乗り、30分ほどで我孫子駅に着きました。未知の土地でまるで様子がわからないままに駅前の一本道をまっすぐに進みました。途中に曲がり道もたくさんありましたが、なんとはなしに下り坂のように見えるゆるやかな道のままに歩を運んでいくと案の定沼のほとりに出ました。地図で見知っていたとおりの細長い沼で、左右の見渡しは果てしがありませんが、向う岸まではほんのわずかです。

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1,270字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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