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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (10) 関口の大洗堰の別れ

 兄に連れられてある海岸へ連れていかれたこともありました。そのおりの情景は「つむじまがり」に精密に描かれています。前日の夜、毘沙門様の縁日で兄に買ってもらった『小国民』一冊をもって家を出たのはちょうど七夕の日の朝のことでした。『小国民』は学齢館の児童雑誌です。明治22年に『小国民』という誌名で創刊されたましたが、この誌名は7年目の明治28年9月刊行の第七年目、第十八号(毎月二回刊行)までで、次の号から「小」の字が「少」に変って『少国民』になりました。「つむじまがり」の表記は『小国民』ですから、兄と二人で海辺に出かけたのは明治28年9月以前のことになります。同年4月に日清戦争が終結したことと考え合わせると、この年の7月7日の七夕の日と見てよさそうです。それなら中先生は黒田小学校の尋常科の四年生であり、金一は医科大学で一回目の第一学年を終えたところです。満年齢では中先生は10歳、金一は24歳です。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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