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エピローグ-回想の『銀の匙』

我孫子再訪
中勘助先生の評伝を書く決意を新たにして、いよいよ執筆にとりかかったのは一昨年令和22年の年初のことでした。実際に書き始めようとすると調査不足のあれこれが次々と念頭に浮かびました。調査というのは大きく分けて2種類で、ひとつは文献上の調査、もうひとつは中先生にゆかりの地の現地調査です。文献調査には図書館の利用が有効です。ただし根気よく何度も通う必要があります。現地調査のほうは実際に現地に足を運ばなければなりません。それに、現地に足を運んだからといってどのような収穫があるのか、出かけてみるまでは何もわかりません。
令和4年6月14日、我孫子に向いました。半世紀の昔に幾度か出かけて以来のことで、駅前の光景など、昔はどんなふうだったのか何も思い出せないままだったのですが、それでも駅前に八坂神社があったり、手賀沼に向ってゆるやかな下り坂の道が続いていたりするのを見ると、ああ昔もこんなふうだったとわずかに思い出されました・
 沼のほとりにしばしたたずんで、手賀沼公園内の我孫子市生涯学習センターアビスタに立ち寄って、ぷらっと」という喫茶室でひと休み。それから白樺文学館に向いました。文学館を見物して、近くを散策すると志賀直哉邸跡などがありました。
 中先生は沼のほとりの高嶋さんという人の家の二階に住んでいました。半世紀前にはじめて我孫子に出かけたおりにたまたま高嶋家の人に会い、ご自宅に連れていってもらったことがありました。それで高嶋家をさがしてみたのですが、とうとう見つかりませんでした。

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