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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (114)「つむじまがり」の連載が始まるまで

 中先生が比叡山に向うことになった経緯は不明ですが、真如院で暮しているうちに寛永寺のお坊さんと知り合って紹介してもらったというのはありそうなことに思われます。「銀の匙」の後篇の執筆が完了して漱石先生のもとに送付した時期を考えていくうえで、次に引く漱石先生の手紙が参考になります。

漱石先生の手紙
10月17日
牛込区早稲田南町七番地より
下谷区上野桜木町四十四番地 真如院内 中勘助へ
《君は知るまいが僕は其後煩つてまだひよろひよろしてゐる。原稿は受取りましたがとてもあの長いものをよむ勇気はない。其外にも依頼されてよまねばならぬものもあるがまだ放擲してゐます。どうぞあしからず思つて下さい。》

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1,216字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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