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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (132) 望岳荘訪問

 中島さんの話が続きます。夕食後は少年時代の話やら何やらいろいろなことを話してくれました。脚気で歩くのも困難なときに、兄に玄関からたたき出された話は幾度となく繰り返されたということですが、これは大正2年の夏の出来事で、脚気がひどくなって立ち居もままならなくなってしまったため、寛永寺の真如院からようようのことで小石川水道町の家にもどって静養させてほしいと頼んだところ、兄が血相を変えて猛り出して拒絶したことがありました。
 兄にまつわる話はまだいくつもありました。兄がドイツ留学を終えて帰国してまもないころ、兄に連れられて西洋料理を食べさせる店に行ったとき、料理にコロッケが出ました。すると兄は、さも自慢のようにこれはコロッケというものだと得意気になって話しました。笑い話みたいなことですが、兄はそういうふうに自分を偉い者に見せようとする風が小さい時からあったというのが中先生の説明でした。このコロッケの話があったのは、兄が帰国して九州福岡に移る間のことですから明治38年12月であろうと思われます。兄は34歳、中先生は20歳でした。
 兄の話はみな兄の意地の悪さを物語るものばかりで、兄のよい点を聞かされたことは一度もありませんでした。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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