『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業(98)野尻湖より千駄ヶ谷へ
10月17日に琵琶島を離れて東京にもどった中先生は23日付で安養寺の御住職に宛ててお礼のはがきを書きました。文面は次のとおりです。
中先生のはがき
長野県上水内郡信濃尻村字野尻
藤木信西様
東京市外千駄ヶ谷町八七一 那須利三郎様方
中勘助
《拝啓 御地滞在中は一方ならぬ御厄介に相成又出発の節は御丁寧なる御見送を辱(かたじけの)うし且結好なる御土産物迠(まで)頂戴仕難有く御礼申上奉り候 御地出発後途中群馬友人宅に二泊去る二十日帰京当家に仮寓仕候 当地目下晴天には袷一枚にて暑気を覚ゆる有様にて妙高黒姫の初雪も徐ろ懐かしき思有之候
右先は御礼迄
二十三日 匆々》
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1,130字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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