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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (99)和解の条件
明治44年10月末に帰京した中先生は千駄ヶ谷の那須家に滞在しました。この時期の消息は「郊外 その一」という作品に記録されています。初出は岩波書店の雑誌『思想』、第139号(昭和8年12月1日発行)。そののち単行本『母の死』(昭和10年4月5日、第一刷発行)に収録されました。断片的な記述が続きますが、冒頭に
《明治四十四年十二月七日-四十五年二月十九日
入院中の夢》
と記されていて、病気で入院したことが告げられました。明治44年12月7日から翌年の2月19日まで入院していたことが示唆されています。何月何日に退院したというような記事はありませんが、3月4日の記事にうたた寝をしたとあり、
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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