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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (73) 房州からの便り

 明治40年の正月を葉山ですごした山田さんは1月末に房州岩井に移動しました。1月27日付の第133書簡の宛先は房州です。房総半島内房の海岸沿いの安房郡岩井村(現在の南房総市)に橋場屋という旅館があり、そこにおせきちゃんという六つか七つの女の子がいて、宛名はおせきちゃんになっています。

山田さんの手紙
第133書簡
東京より房州へ
川名セキへ
《コノトリハ、イマデタバカリデ、カワイイカラ、オセキチャンニアゲル。オセキチャンガ、オホキナコヱデ、コレヲヨムト、オバサンガワラウ、ジョチュウガソロウ。》

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1,399字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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