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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (101) 漱石先生訪問

 中先生が漱石先生とであったのは明治36年の4月のことで、一高の1年生の第三学期に漱石先生の講義を受けたのでした。中先生の友人のなかに漱石先生を慕う人たちが現れて足繁く漱石先生のお宅に出入りするようになりました。安倍さんもそのひとりで、小宮豊隆、野上豊一郎、阿部次郎などという人びとの名が浮びます。魚住影雄は漱石先生には親しみませんでした。山田さんの書簡集にも漱石先生に触れる言葉は見られません。中先生は漱石先生の作品のよい愛読者というわけではなく、明治38年1月の『ホトトギス』に「吾輩は猫である」が掲載されて評判になったときも、表題からして目をそむけさせられてしまったほどでした。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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