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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (116)鵠沼への誘いを受ける

 大正5年の年が明けて1月から2月にかけての時期は山田さんの遺稿集の刊行の準備もほぼ完了し、出版を待つばかりになっていたことと思われます。中先生の所在地は依然として真如院でしたが、春先の一時期を鵠沼で暮らしたことがあります。真如院を引き払ったというわけではなく脚気の療養のための転地で、安倍さんに誘われたのでした。安倍さんは麹町富士見町の崖下の三間の借家に住んでいましたが、大正5年の春、鵠沼に転居しました。安倍さんを鵠沼に誘ったのは和辻哲郎先生でした。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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