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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (139)コロッケーの思い出

 兄は新聞を読むということはできないようで、ざっと眺めて興味のありそうな記事を選択すると、中先生がその記事の要点をかいつまんで話して聞かせました。昭和4年7月17日の夕食はシチューでしたので、食後の茶の間の話が洋食のことになりました。中先生が中島さんに今から30数年前の子供のころ、兄に連れられてはじめて洋食屋に行ったときの話をして、小川町のあたりだったと思うと言うと、兄が「美土代町(みとしろちょう)」と食卓のうえに書き、それから指を一本立ててみせました。東京一という意味かと思ったところ、ホテルなどは別にして東京中に一軒しかなかったという意味でした。兄は落語家がするように両手を振ってみせて、歩いて行くのだということを身振り手振りで中島さんに伝えました。新知識を取り入れることに熱意があり、価値を置いている人でした。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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