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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (74) 明治41年の消息

 明治40年の秋から明治41年にかけての中先生の消息についてはほとんど何もわかりません。明治40年12月30日付で山田さんが房州で書いた手紙(第146書簡)には、「久しく手紙を呉れないが東京に居るのか」などとあります。小田原に行っているのかもしれないと思ったのでしょう。書簡集に収録された明治41年の中先生宛の手紙はわずか2通であることは既述のとおりですが、中先生以外の人に宛てた手紙もなく、この年の手紙はその2通ですべてです。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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