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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (3) 神田界隈の回想
次に引くのは「銀の匙」からの引用です。生家と生地が回想されています。
《私の生れたのは神田の中(うち)の神田ともいふべく年が年中火事や喧嘩や酔ひどれや泥棒の絶え間ない處であつた。病弱な頭に影を残した近所の家は向ふの米屋駄菓子屋をはじめ豆腐屋湯屋材木屋などゝいふたちの家ばかりで筋向ふのお医者様の黒塀と家の殿様のところの(私の家は其邸内にあつた)門構へとが一きは目立つて見えた。》(「銀の匙」、第3回)
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2,480字
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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