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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業

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●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれますが、そのためには人生行路の細部の諸事…
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいた…
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#稲田龍吉

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (8) 中金一の医学修業

 中金一が入学した時期の一高は三部制で、第一部、第二部、第三部に分けられていました。一高…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (11) ドイツ留学

 医科大学を卒業して青山内科の助手になった金一はまもなく洋行することになり、文部省から「…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (18) 神戸にて

 既述のように、中先生の兄金一がドイツ留学を終えて帰国したのは明治38年11月のことでした。…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (19) 中金一教授の講義…

 九州帝国大学は明治43年12月に公布された勅令第448号をもって設立され、明治44年1月より施行…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (20) 小野寺直助の日記…

 福岡医科大学時代の金一さんの話になりましたので、これからしばらくの間、金一先生、稲田先…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (22) 休職から退職へ

 小野寺先生は明治38年9月から二年生になりました。諸先生の講義が次々と開講され、そのなか…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (100) 野尻湖畔再訪

 重い風呂敷包みを左手にさげ、格子を閉めて門のほうに歩いたとき、末子さんはふと思いついたように、「裏の畑を見ていらっしゃい」と後ろから声をかけました。中先生が仕方なく裏にまわり、もとの花壇のあたりに立っていると、急いで下駄をひっかけた末子さんが追いついてきました。畑は広く耕されてなにか蒔いてあるように見えました。末子さんが蒔いたのでした。去っていこうとする中先生を少しでも長く引き留めておこうとして、友だちが送ってきた香を用箪笥から取り出してかがせたりしました。