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むしゃ、むしゃ、むしゃ

 わたしには、とっておきの、呪文がある。

「むしゃ、むしゃ、むしゃ」

 この、たった9文字の言葉を口にすると、……食欲がわく。

 食欲のわかない、真夏に効く呪文だ。
 病に倒れ、食欲の消えうせた時に効く呪文だ。
 あまりおいしくなさそうなものを食べる時に欠かせない呪文だ。

「むしゃ、むしゃ、むしゃ」

 たった一言、口にするだけで、口につばがたまる。
 たった一言、唱えただけで、胃袋の上部に貪欲な空間が生まれる。

 もぐ、もぐ、もぐでは、ダメなのだ。
 パク、パク、パクでは、ダメなのだ。
 はむ、はむ、はむでも、ダメなのだ。
 ガツ、ガツ、ガツでも、ダメなのだ。

「むしゃ、むしゃ、むしゃ」

 この9文字を口にするだけで、胃袋が活発に動き始める。
 ぐぅ、ぐぅ、ぐぅと、空腹を訴えて愉快な音を奏で始める。

 ……この呪文を会得したのは、幼少期のことだ。

「あぶくたった」という、手遊びをご存じだろうか。

 あぶくたった にえたった
 にえたかどうだか たべてみよ むしゃむしゃむしゃ
 まだにえない
 あぶくたった にえたった
 にえたかどうだか たべてみよ むしゃむしゃむしゃ
 もうにえた

 私は、幼いころ、この遊びが大好きだった。

 おにを1人決め、しゃがんで、両手で顔をかくし。
 他の人は、おにを囲んで手をつないで、歌をうたいながら、おにの周りをぐるぐる歩いて回る。

 ♪あーぶくたった 煮えたった 煮えたかどうだか 食べてみよう♪

 周りを歩いていた子供たちは、その場で立ち止まっておにの方を向き、食べる真似をする。

 ♪むしゃむしゃむしゃ

 私は、この、むしゃむしゃむしゃが、大好きだったのだ。

 健康優良児だったミユキちゃんの腕を、むしゃむしゃするのが大好きだった。
 丸眼鏡のもやしっ子りゅういち君の肩を、むしゃむしゃするのが大好きだった。
 坊主頭のゆうけい君の副耳を、むしゃむしゃするのが大好きだった。
 長い三つ編みの持ち主ひさみちゃんの首を、むしゃむしゃするのが大好きだった。

 むしゃむしゃしてると、美味しかったお肉の事を、思い出せたからだ。

 たった一度だけ食べた、格別においしかった……お肉。

 ―――本当に食べたらダメだよ!!
 ―――ごめんなさぁい!!!

 聖子先生に怒られた、あの日を……思い出す。

 目の前にある、素朴な…納豆定食。
 食欲がわく、メニューでは……ない。

「むしゃ、むしゃ、むしゃ」

 ……ああ、おなかが、空いた。

 わたしは……今、飢えて、いる。

 納豆を混ぜまぜ、ご飯の上にかけて。
 空腹を訴える胃袋に……流し込む。

 ……胃袋が、満たされて、ゆく。

 わたしは……今、満たされつつ、ある。

 みそ汁を飲み、漬け物を食み。
 体を動かすために必要なエネルギーを……取り込む。

 ……胃袋が、満たされた。

 ……満たされた、けれども。

 わたしは……今、飢えている。

 私が、本当に、食べたいものは……。

 むしゃ、むしゃ、むしゃ……。
 むしゃ、むしゃ、むしゃ……。
 むしゃ、むしゃ、むしゃ……。

「お会計ですね!ありがとーございまぁっす!371円です!」

 レジで、伝票と、千円札を出して。

「千円お預かりいたしまあっす!お返しが、671円ですねっ!!」

 629円の、おつりを、手渡されて。

 ……ああ、脂ののった、実に、むしゃむしゃしがいのありそうな。

「むしゃ、むしゃ、むしゃ……。」
「…?ありがとうございました!またお越しくだ

 ……わたしは。

 聖子先生に怒られた、……あの日を。

 ……思い出した。

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