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求められないリアル

「では、全30回のスケジュールでお願いします。」
「わかりました、頑張りますね!」

 思いがけず、Vlogの執筆をする事になった。

 VlogとはVideo blogの略で、一般的なブログの動画版の事である。

 このところ動画サイトでは、この手のジャンルが人気を集めているらしい。圧倒的にライティング供給が足りていないらしく、プロでも何でもない私の所に執筆依頼が舞い込んできた。学生時代、文芸部でブイブイ言わせていた私の事を聞きつけた、とある企業の敏腕社員が……わざわざ菓子折りを持って訪ねてきたのである。母親の旧知の恩人らしく、断ることもできずに引き受ける事になってしまった。

 一日当たり2000文字程度の日記を一ヶ月分、納期は一ヶ月。四十代既婚女性が動画を作っているという体で、文章を仕上げて欲しいという依頼である。大まかなプロットをもらって私が肉付けをし、依頼者がチェックをして修正、納品完了、という流れのようだ。一日一本ペースでも、一気に十本のペースでも構わないと言われた。つい二年前まで大学の文芸部で短編小説をたくさん書いていた私には、難しくない作業内容だと思われた。

 最近人気になっている動画を研究して企画を立てたというプロットに目を通すと、ずいぶん事細かに設定が書かれている。身長、体重、誕生日に血液型…かなり詳しく書かれていて、これほどきっちりとした人物像とエピソードが作れるなら相当すごい文章が書けそうなのに…と思ったが、同じ人が執筆し続けると微妙に文体が似通ってしまうらしく、新しい作者が欲しいのだと力説されてしまった。

 結婚15年目にして旦那に浮気された、いわゆるサレ妻が主人公らしい。
 ひょんなことから浮気が発覚し、はじめは強気で旦那を責めていたのだが、だんだん泥沼化していくストーリー。SEOを意識したタイトル付けとあらすじの執筆も併せて依頼された。全30回分の指定キーワードを確認したあたりで、引き受けなければよかったかなと…少し思った。

 毎日、会社から帰って、スーツを着込んだまま執筆する事にした。これも頼まれ事とはいえ、仕事の一環だ。

 就職して以来まとまった文章を書く機会がなかったので、本当にちゃんと物語になるのか不安だったが…、何のことはない、すぐにカンを取り戻し、依頼元が驚くようなスピードで納品するようになった。

 とはいえ、ごく普通の…どちらかというとあまり文章を書くことになれていないような主婦の文章を書くのは、少し骨が折れた。私は現代小説というよりは純文学が好きで、古い表現や難しい熟語をすぐに使ってしまって、何度もリテイクをもらうことになってしまったのだ。正直、頂いた金額では割に合わない、そう感じたものの…すでに受注契約はなされている。今さらやっぱり無理でしたとは言えない。仕方がないと腹をくくって、真摯に作業に取り組む、日々。

「よくなってきました、すみません無理言って!」
「もっと自分勝手な感じでお願いします。」
「もうちょっと旦那の頭の悪さを前に出してください。」
「いいですね、これ裏設定ですか?」
「リアルですね、この食べ残しのところ!」
「ちょっと40代にしては若者寄りかな?もう少し大人なセリフで。」
「じゃあ、浮気相手を20代前半にしましょう、リアルな感情ぶち込んで下さい。」
「ああ、今の20代ってこういう感じなんですね…勉強になります!」
「もうちょっと不幸盛り込みましょうか、できますか?」
「もうちょっとエグイ表現でお願いします。」
「もうちょっと世界を恨む感じで、いいです?」

 編集者さんは、的確に指示を出してくれた。時折こちらを褒めてテンションを維持させ続ける努力も忘れない、さすがの敏腕社員という感じだった。私はその声に応えるために、精力的に物語を仕上げていった。

 動画も公開され、再生回数がどんどん伸びていった。応援コメントが動画公開のたびにたくさんついて、ますます執筆に力が入るようになった。

 ……全30回の、20回を少し越えたころだろうか。

 コメント欄がやけに荒れるようになった。創作を疑う声、ありえないと否定する声、書いている私の年代を推理する声、できの悪い三流小説だと馬鹿にする声。

 私は、頼まれてこの物語を書いている。私が出した文章は、編集者が目を通し、修正指示を出し、対応し、望まれた結果生まれたものだ。

 物語は依頼されて書かれたものである。
 拙い文章は望まれて書かれたものである。
 頭の悪い発言は望まれて書かれたものである。
 ありえない展開は望まれて書かれたものである。
 都合のいい過去は望まれて書かれたものである。
 襲い掛かる不幸は望まれて書かれたものである。

 コメントを見ながら、視聴者に反応するような文章を書くよう指示されていたので、目を背けるわけにはいかなかった。

 ―――作り話!へたくそな文章だな!
 ―――この手の動画って詐欺になるんでしょ?もう見ないよ!
 ―――大変ですね、私も以前にた様な出来事に遭遇し…
 ―――大丈夫、全力で応援してるからね!
 ―――こんな動画作るくらいなら空き缶拾えよ!
 ―――あなたの動画を見て病みました、慰謝料払って下さい。
 ―――通報しました。
 ―――気に入らないなら見なきゃいいのに
 ―――すごくいい動画ですね、私も動画作ってます、ぜひ見に来てねhttp…

 心ないコメントに、傷ついた。
 優しいコメントに、心を痛めた。
 長文コメントに、目が乾いた。
 煽りコメントに、敵対心が沸いた。
 責任転嫁コメントに、居た堪れなくなった。
 嘘を書き続けることが、きつくなった。

 旦那なんていないのに、結婚していないのに、彼氏すらいないのに、最愛の人に裏切られて孤独に戦う女性のリアルな心を書かねばならない…重圧。コメントに一喜一憂して、振り回されて、激しく感情が入れ替わる…落ち着かない毎日。常に最悪の事態を想像して、さらにそれを上回る不幸を起こさねばならない…使命感、責任感。

 Vlogの主人公に、のめりこんでしまったとでも言えばいいのだろうか。常に…自分が苦しんでいるような錯覚に陥るようになってしまった。嘘を書き連ねているはずなのに、自分の心は確実に……傷ついていった。自分の創造した救いのない世界の中で、藻掻き続ける……主人公わたし

「いいですね、悲壮感がすごい!見てる方が鬱になりますね!」
「この主人公の落ち込み方…他には見た事がないですよ!」
「コメントが盛況です、煽って下さってありがとうございます!」
「こんなアクシデントよく思いつきますね…他の業者からも注目されてますよ!」
「ここであの伏線を持ってくるとは!悪魔でも思いつきませんよ!」
「すごいですね、不幸の連鎖がえげつなくて…目が離せません!」

 暗く、陰鬱で、救いのない物語に、飲み込まれていく。
 追及する人たちのコメントに、動悸を覚えるようになっていく。
 嘘に同情する人たちのメッセージに、傾倒するようになっていく。

 まるで自分が不幸のど真ん中にいるような、錯覚をするようになっていく。
 まるで自分が不幸のどん底にハマっていくような、思い込みをするようになっていく。
 まるで自分が不幸の物語の主人公の運命を喜んで弄んでいるような、悪魔なんじゃないかと感じるようになっていく。

「お疲れさまでした!!確かに全30回、受け取りました!」

 もうだめだ、これ以上書くと自分自身が崩壊する…そう思った日の夜、全ての作業が終了した。

 正直、心から……ホッとした。

 もう、この物語を書かなくてもいいのだ……その事に心から安堵した。
 文筆業の恐ろしさを、これでもかというほど味わった。

 もう二度と、このような作業はしたくないと思った。


 納品が完了した週末、編集さんがお忙しい中、わざわざ我が家を尋ねて来てくださった。高そうなハムのセットを受け取った私は、にっこりと微笑んで見せたものの…おそらく引き攣った顔になっていたに違いない。

「あれは名作ですよ!起承転結とはこういうものなんだと、感服いたしました!あれほどの泥沼とどん底を、ここまで感動の物語にできるなんて……さすが文芸部の部長さんは違いますね!感服いたしました!」

 編集さんのテンションの高い声に、なんと返していいものか……迷う。

 きっちり伏線を回収して、話をまとめあげたのは……、読後感が爽やかになるような物語に仕上げたのは……そうしないと自分が、戻って来られなくなりそうな予感がしたからだった。

 中途半端に投げやりな物語にしてしまったら、絶対に私の中に蟠りが残る。なんだかんだで縁ができてしまったから、最後まできちんと見届けたくなったというか……。30日間にわたって私が乗りうつっていた主人公には、なんとしても幸せになってもらいたかった。結局救われないで終わるなんて……気の毒すぎて、できなかった。アンチコメントが溢れるのを見るのも気が重いし、せめて最後くらいは良かったねという、労い?プラスの感情の言葉をもらいたかったのだ。

「いえ…そんな。私の方こそ、途中であらすじを変えてしまってすみませんでした。」
「とんでもない!あの方向転換があったから一気に登録者数が増えたんですよ、進言ありがとうございました!…佳代子さんの娘さんはすごいですねえ、今何のお仕事されてるんでしたっけ?転職しません?」

「この子は昔からお話を書くのが好きだったんですよ!児童作文コンテストでも入選したのに、なんでか給食センターのお姉さんになっちゃって!!」

 リビングでやけに盛り上がっている母親と編集さんを前に、苦笑いをする事しかできない。

 ……やだなあ、文集とか棚の中から引っ張り出してきてる、高校の時の演劇部の台本はちょっと恥ずかしすぎる、ああー、部誌まで引っ張り出して!!!

「次は50代の主婦で行こうと思ってるんです、お願いしたいんですが!」
「あらあ!目の前に本物の50代主婦がいますよ!!」

「お母さん!!!ダメだって!!!」

 母がとんでもないことを言い出したので、あわてて止めにかかったのだが。

「ああー!!いいですね、じゃあちょっとお願いしようかな!!」
「あらそお?私の原稿料は、高いですよ!!!」

 リアル50代、1964年生まれの文学部卒の書いたVlogは、まさかの再生回数8回という記録を叩き出した。

 なんというか、やはり、作り物の世界というのは、持て囃されるのだなあと……、現実なんて見向きもされないんだなあと……、しみじみ、思ったのだった。


こちら動画もございます


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