ラジオ「渋谷のかきもの」より抜粋

2019年1月21日 渋谷のラジオ
出演:境貴雄、華恵

華恵:プロフィールを簡単に紹介させていただきます。現代美術家でいらっしゃいます。2007年に東京藝術大学大学院修士課程デザイン専攻を修了。在学中より和菓子や小豆をモチーフとした作品を発表。小豆を顔に付けてヒゲに見立てた最先端ファッション「アズラー」の仕掛け人であり、これまでに4000名以上のポートレートを撮影し、多くの著名人もモデルとして参加。テレビやラジオ、トークショーの出演、雑誌や新聞の掲載、伊勢丹やルミネといった商業施設でのイベント、ファッションブランドとのコラボレーションなど、アート界のみならず、様々なメディアで注目されています。またニューヨークでもアズラーのイベントを開催し、世界各国のウェブサイトで作品が頻繁に紹介されています。一時期、笑っていいとも!に出たときの写真をネットで見た印象があります。
境:タモリさんが付けてますよね。
華恵:タモリさんがアズラーのひげを。私は大学で境さんを知りましたけれど、境さんのお名前を知る前から、あの小豆のヒゲっていうビジュアルだけは、ネットで見たりとかして知ってました。今日はアズラーとは?という話もしていきたいんですけど。境さん、渋谷のラジオの前を通ったことがあるって言ってたんですけど、、あぁ、渋谷のラジオって親しみありますか?って聞こうと思ったんですけど、我らが渋谷のラジオの箭内道彦さんの後輩でもいらっしゃるんですよね。
境:今、箭内さん、僕の母校の藝大デザイン科の教授をやっているんですけど、僕が在学中はいなかったので面識はないんですが、箭内さんの大学の後輩ということですね。
華恵:渋谷のラジオは知っていました?
境:知り合いが番組をやっていたり、元々、渋谷が地元なんですよ。ちょっと恵比寿寄りなんですけど、渋谷駅もよく使うので、終バスがなくなったりすると、渋谷のラジオの前を歩いて、家に帰るっていうのもあるので、場所は知っていたんですけど。
華恵:じゃあ、渋谷の街が変わっていく感じとか、ずっと見ているんですよね?
境:本当に、今まさに、変わってるじゃないですか。僕が小さい頃に住んでいた渋谷駅の周辺の景色が、日々変わっていくので。
華恵:どう変わってますか?
境:それがまた不思議で、日々変わっているじゃないですか。ジワジワ変わっているので、昔の記憶がどんどん消されていってしまう感じで。ぼんやりとは覚えているんですけど、自分の昔の記憶が消されていく寂しさもありつつ、だけど日々変わっていくのを見れるので、そのワクワク感とか、地下の通路ができたなぁとか。
華恵:無くなったものって思い出せます?公園とかなのかな。
境:公園も無くなりましたし、駅前の雰囲気はまったく変わっているので。
華恵:私は小学生の頃、渋谷の塾に通っていて、でも分かんないんですよ、当時と何が違うのか。あっ、バスのロータリーあたり?
境:バスのロータリーが一番記憶にありますよね。
華恵:何がどう変わったんでしたっけ?
境:ぜんぜん違いますよね。

華恵:アズラーとは何でしょう?
境:アズラーは何なのか?僕の名前の一部なのか?仕事のメールでも「アズラー境貴雄 様」みたいな、会社名なのか?とか色々と不思議だと思うんですけど、アズラーというのは僕のアートプロジェクトの作品名なんですね。小豆を顔に付けてヒゲに見立てたファッションのことをアズラーと呼んでいまして、日本でアズラーというファッションが流行っているという架空の物語を作りまして、それを世界中に広めるために、いろんな方々に装着してもらって、僕が撮影してポートレートの写真にして、それをウェブサイトを中心に発表して拡散していくプロジェクト、を総称でアズラーと呼んでいます。
華恵:これ、けっこう長いですよね?
境:2007年からなので、大学院を修了した年の6月から始めて、今年の6月で12年ですね。
華恵:おぉ〜、干支一回りしたんですね。
境:そうなんですよ、いつの間にか。
華恵:小豆をヒゲに見立てる前は、違うことで小豆で色々と遊んでいたとか、アズラーに至るまでの変遷はあるんですか?
境:大学3年生のときに初めて和菓子をモチーフに作品を作ったんですね。僕は小さい頃からあんこを食べるのが好きで、あんこ好きの少年だったんですけど、それがきっかけで大学時代に和菓子をモチーフに、、
華恵:和菓子をモチーフにしなさいって言われたんですか?
境:いや、藝大のどの学年もそうですけど、3年生のときに古美術研究旅行というのに行きまして、、
華恵:私も行きましたよ〜。
境:京都と奈良に旅行するんですけど、そのときにデザイン科では課題が出されまして、「伝統とデザイン」っていう課題で、特にメディアとかは決まっていなくて、その課題で好きに作ってくださいって言われて、「伝統とデザイン、、あっ、和菓子じゃん!」って思って。
華恵:凄いなぁ、古美術研究旅行ってお寺ばっかり回るから、音楽学部で言うと、木魚とか称名を聴いたり、昔の日本音楽や宗教音楽を学ぶみたいな、けっこう神妙な旅行なんですよ。それで和菓子というポップなところに行くのは、あんまりいないですよね?
境:もちろんいないですよね。和菓子とか小豆をモチーフにして作品を作っているアーティストも僕だけだと思うんですけど。その旅行のときに初めて和菓子の作品を作ってみて、普通は課題が終わったら完結するものなんですけど、僕の中でしっくりきたというか、、
華恵:そのときはヒゲを?
境:いや、ヒゲじゃないですね。お饅頭とか京菓子の美しいビジュアルのお菓子を、発泡スチロールで作って、それを彫刻作品みたいな立体作品にしたのがきっかけで。その頃はどういうコンセプトでやろうというのはあまりなかったんですけど、何となく引っかかって。手探りながら課題とは別にライフワークで作り続けていったのが、そもそものきっかけですかね。それであんこの素材って小豆じゃないですか。なので小豆自体をモチーフにしたら面白いかなぁっていうので、小豆を何かに付けたりして、最初は立体作品だったんですけど、それがエスカレートして身体に付けたいなぁと思って、被れる作品を作って、そのシリーズの一環で小豆のヒゲを作ったんですよ。それが2007年ですかね。
華恵:私、ずいぶん前に境さんにも言ったことがあるんですけど、イクラとか明太子とか同じ形の集合体が苦手で、アズラー撮ってみます?って言われて、絶対に無理だ!って思ってたのに、小豆のヒゲの実物を見せてもらったら、ぜんぜん平気だったんですよね。それで、その理由を説明されたのは、小豆を手作業で作っているから、形が一粒一粒違うと。まったく同じ形の集合体になるとツブツブ恐怖症の人は反応するけど、形がちょっとずつ違えば割と平気なんだと言ってましたよね。
境:今おっしゃった通り、写真しか見てない人は本物の小豆を顔に付けて、どうやって煮るんですか?とか、どうやって固めるんですか?っていう質問もされるんですけど、実はこれ紙粘土で作っていまして、一粒ずつ紙粘土を手で丸めて、一粒ずつ串に刺して、アクリル絵具で微妙に色を変えながら塗っていくんですね。手で丸めたり、一粒ずつ色を変えるので、本物の小豆みたいな感じで、一粒ずつの大きさや色が微妙に違くなるんですよ。その生々しいリアリティというのも、制作の工程としてはこだわりを持ってやっていますね。
華恵:変な話、飽きないですか?
境:作業自体はまったく面白くないんですよね。これはもう苦痛でしかなくて、、笑 ちょっと勘違いされるんですよね、細々した丸める作業が好きなんですか?みたいな。苦痛以外、何ものでもないので。この作業自体は大変なんですけど、、最後のツヤ出しのところは楽しいですね。完成に向かっている感というか。
華恵:それで完成して、これを続けようと今でも思っていて、同じシリーズを大切にできるのって何でなんですか?こんだけ小豆って同じ食べ物と相対してたら、もう食いたくもないってならないのかなぁと思ったんですよ。
境:そこはたぶん、僕の性格だと思いますけどね。アーティストっていろんなタイプがいると思うんで、作品のコンセプトごとにスタイルやメディアをがらっと変えてしまうタイプもいますし。僕はどちらかと言うと、続けることで見えてくるものがあるっていうか。明確にこういうことを達成するために、この活動をするっていうイメージがそこまでなくて、やっていくうちにちょっとずつ手探りで「あっ、こんなことをしたら、こんな反応があるんだな」とか。アズラーはいろんな方々が参加しているので、モデルさんが作品の一部になるのが面白いというか、人間を通しているので。例えば今回の華恵ちゃんも、アズラーを通してラジオに呼んでいただいたり、そういう交流が後から出てくるんですね。その面白さもあるので、作っているときは苦痛な瞬間もあるんですけど、コミュニケーションとかも含めてモデルさんが作品の一部になるという、その活動自体に魅力とか面白みを感じて、これは止められないなぁという感じになっていると思うんですよね。
華恵:印象的だったアズラーになった方、あるいはそこから生まれた交流とか今までありましたか?
境:どの人も印象はあるんですけど、日本ではそんなに有名じゃないかもしれないですが、ジャーマンプログレっていうジャンルがありまして、クラウトロックとも言うんですけど、その大御所でマニュエル・ゲッチングというアーティストがいるんですよ。その分野の中では超有名人なんですけど、そのマニュエルから「日本のフェスのために来日するので、あなたの作品が見たい」「アズラーのモデルになりたい」という連絡が来て。11年前ですかねぇ、バックステージに行ってアズラーを撮影したっていうことがあって。元々、僕はそういう音楽が好きだったので、僕の中でマニュエル・ゲッチングは歴史上の人物だったんですよ。なんか自分の活動を通して、そういう人たちと出会えるんだぁという面白さと不思議さ、、、
華恵:でも同じ境さんが好きなもの、やっているものだから繋がるって理由はあるんだろうけど、、マニュエル・ゲッチングを知ってたわけですよね、境さんは。
境:もちろん知ってましたし、CDも持ってましたし。
華恵:それで、マニュエル・ゲッチングは境さんが自分のことを知っているとか、そういうのは関係なく連絡してきたってことですもんね。
境:そうだと思います。このアズラーは自分でも言語化しづらい不思議な活動ではあるんですけど、そういう出来事があると、続けていることで見えてくるというか、出会いがあったり、発展があるっていうのは面白いですね。
華恵:小豆がいっぱいある状態が、ミニマルミュージックやテクノに繋がるんだろうって言いたくなっちゃいますけど、、
境:どこかで繋がっているかもしれないですよね。無意識にそういったものを自分で選んでいる可能性はあります。それにマニュエルが何かしらの反応を示したのかもしれないですよね。
華恵:面白い。というわけでマニュエルの曲ではなく、1曲目にかける境さんのリクエストの曲の紹介をお願いします。
境:電気グルーヴの曲なんですけど、ちょうど明後日、30周年のアルバムが出るので、本当はその曲をかけたい気持ちはあったんですけど、まだ発売前なので、現時点での最新アルバムの中からの曲ですね。電気グルーヴで人間大統領。

華恵:電気グルーヴ、めちゃくちゃ境さんは好きで、いつもリキッドルームで卓球さんのDJを聴いての年越しってことも知っていたから、その話をたっぷり聞きたいと思ったら、ちょっとマニュエル・ゲッチングの話で押してしまったので、とりあえず次に進みます。「大切なかきもの」を今日はお持ちいただきました。何でしょうか?
境:高校1年生のときに、初めて高校の授業で描いた石膏デッサンですね。
華恵:これは美大を目指し始めて、どれくらい?
境:美大はまだ目指していなかったんですけど、高校が美術系だったんですよ。中学2年生くらいのときに美術が好きになって、それで先生のお勧めで美術系の高校に進学したんです。これは4月くらいに描いた石膏デッサンですけど、ミロのヴィーナスなんですが、モアイ像みたいな顔になってしまっていて、、
華恵:でも、ど素人から見ると、へぇ〜下手なんだぁ〜これが、ぐらいな感じですけど。
境:今見ると、光とか立体感があったりするので、そういう意味ではど下手ではない気がするんですけど。その後、藝大を目指して、4浪して藝大に入るんですけど、下手な作品って今はもう描けないじゃないですか。その良さっていうのはありますよね。下手に描こうと思っても、こうは描けないなぁっていう。唇がたらこみたいな感じとか、目が光ってるみたいな。
華恵:それは私も、絵じゃないもので思い当たりますね。下手なときには戻れないって言葉でいえば、どの職業もそうでしょうね。ただ、このときの絵を何で残してあるんですか?
境:あの僕、全部、残しているんですよ。
華恵:全部ってどういうレベルですか?
境:幼稚園に入る前の幼少期の、広告の裏に描いた落書きから、現在までの作品は、ほぼ捨ててないですね。全部あります。
華恵:それはどういう、、お母様の教えとか?
境:いやいやいや、、むしろ捨てるほうが僕の中ではよく分からないというか、自分のアーカイブじゃないですか。辿ってきた道のりというか。今この作品が良い悪いとかじゃなくて、思い出の写真とかと一緒で、下手な作品をわざわざ捨てる必要もないっていう、そういう気持ちなので本当に全部、残してありますね。日頃から見ているわけじゃないですけど、押入れの中に年代別にずっと入ってますね。
華恵:邪魔だぁとか、恥ずかしいから捨てたいってこともないですか?
境:まったくないですね。逆に、当時どういう気持ちで描いていたのかなぁとか、思い出せるわけじゃないですけど、貴重だと思うんですよね。自分を振り返るという意味では。
華恵:凄いなぁ。
境:今日はもう1枚。初めての石膏デッサンを探している中で出てきたのが、大学2年生のときに描いた自画像なんですよね。ということは、この初めての石膏デッサンが15歳くらいで、この自画像は4浪して大学2年生なので23歳くらいですかね。8年後はこれぐらいになっています。
華恵:上手くなったとか、写真みたいな緻密さというよりも、大学の進級展とかで壁にかけられているところが目に浮かびます。
境:まぁ、どっちが良い悪いということじゃないと思うんですよね。そのときの自分の気持ちとか技術で描いているだけなので、自分にとってはどちらも大切だし、むしろ絵的には初めて描いた石膏デッサンのほうが、魅力があっていいかなって。
華恵:帰れない、再現が難しいと言ったら、それこそ初めて描いた石膏デッサンのほうが、、
境:貴重だと思いますね。
華恵:「大切なかきもの」を聞いたら、割とすぐに決まったじゃないですか。何でですか?
境:ん〜、パッと思い浮かんだんですよね。自分は文字を書いている人じゃないし、あと作品を作るときにエスキースみたいな、下書きみたいなのを描くんですけど、それは普通だなぁと思って。
華恵:あっ、そうですか。アズラーの次のヒゲの形はこういうのにしようとか、そういうのが出てくるのかなぁって勝手に想像していました。
境:まぁ、そういうのも無くはないんですけど、自分にとって大切って言われると、今描いているエスキースは、もしかしたら20年後は大切かもしれないですけど。今の瞬間に大切って言われたときに、美術を本格的に学び始めた最初の石膏デッサンというのが、一番しっくり来たんですね。
華恵:大切っていうのは、時間経過があるから希少性が出るっていう考えが、境さんの中で概念がはっきりしている感じがしますね。
境:そうですね。
華恵:この大きさの作品をずっと残していたって、リスナーの方は驚くと思うんですけど。
境:これは小さいほうですよ。
華恵:えぇ〜!
境:これはB3サイズって言って、普段デッサンを描くサイズでは小さいほうなので。藝大を目指す人たちは木炭紙大サイズと言って、この倍くらいのサイズで何百枚って描くので、その束のほうが圧倒的に多いですね。
華恵:家の中でデッサンを保管しているところって、かなりの体積に?
境:いやでも、厚み的には束になっていても、そこまでじゃないと思うんですけど、油絵のキャンバスとかに比べれば画用紙なので。
華恵:額に入れたりとかも?
境:額には入れないですね。いわゆる作品という感覚ではないので。下積み時代の痕跡みたいな感じなので、大切ではあるんですけど、作品として発表するとかじゃなくて、自分の中で留めておくもの。押入れにしまっておくぐらいが丁度いいですよね。
華恵:私自身の「大切なかきもの」と共通性を感じました。私は日本に来たときに、最初に日本語を学びながら母とやっていた交換日記で、その頃の日本語力には戻れないし、原点みたいな感じのものですね。

華恵:最後にもう一曲お届けする前に、境さんの今後の告知などがあれば。
境:今のところ、イベントや展覧会みたいな具体的な告知はないんですけれど、アズラーのモデルさんを随時募集していますので、メールをいただければお伺いして撮りますし、イベントでブースを出して撮影会をやりたいという方がいても撮れます。Twitterとかやっていますので、アズラーか境貴雄で検索すると出てくると思うので、是非チェックしてみてください。
華恵:境さん、最後にかける曲が、iTunesが動かなくて、ずっとトラブってるんですよ、、だからどうしようかなぁと思っているんですけども、、
境:電気グルーヴについての思い出を僕がしゃべってもいいですよ。
華恵:本当ですか?
境:そもそも、何でさっき電気グルーヴの曲をかけたのか、みたいな。
華恵:ちょっと、それをお願いしてもいいですか?
境:中学生のときに、彼らがAMの深夜ラジオをやっていて、そこからずっとファンなんですよ。明後日、発売するアルバムで30周年なので、たぶん28年間くらいはずっとファンなんですよね。
華恵:私、27歳ですよ!じゃあ、私の人生分だ。
境:なので、本当に僕の中での憧れであり、ぜんぜん僕とはジャンルが違うんですけど、存在の仕方とか、かっこいい大人像は彼らなので、ずっと追っかけていると。
華恵:会いたびに、同じ人をずっと好きって言ってる人、ナンバーワンですよ。アズラーの活動と同じように、好きなミュージシャンも変わらない。
境:確かにそうですよね。そういう性格なんじゃないですか。いつか2人をアズラーにしたいんですけど、こっちからアズラーになってください、というのはおこがましいので、僕がもっと有名になって、何かの仕事で一緒にコラボできるのが理想かなと思いますね。
華恵:そんなこんな言ったら出来ましたよ曲の準備が。曲紹介をお願いします。
境:電気グルーヴの石野卓球さんがプロデュースの曲ですね。ハリウッドザコシショウでゴキブリ男。
華恵:境さん、今日はありがとうございました。
境:ありがとうございました。

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