劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』が凄い!
京都劇場で公演中の劇団四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』を10年ぶりに鑑賞した。
この作品は、イエス・キリストの最後の7日間を描いたもので、台詞のない音楽と歌曲のみで物語が進行する“ロック・オペラ”として、当時22歳のアンドリュー・ロイドウェバーが作曲し、26歳のティム・ライスが詞をつけた。20代の2人で作ったなんて天才すぎる!
これまで「完璧な存在」として崇拝されてきたイエス・キリストを34歳の1人の人間として描くノンストップの1時間45分だ。
この物語でのイエスは、指導者に必要な計画性に少し欠けていて、名声の上にある意味であぐらをかき、本人もどうすれば良いのか分からなくなっている。エルサレムへ行けば殺される恐れがあるのに、ユダの忠告に耳を貸すことなく、群衆を率いて行ってしまう…。
一方、これまで「裏切者」のイメージしかなかったイスカリオテのユダは、自分の意見に耳を傾けないイエスに苛立ち、彼への大きすぎた期待がいつしか「失望」へと変わってしまう。「イエスの存在はローマ帝国の支配下にあるユダヤ人社会全体に危険を及ぼすのではないか?チクった方がみんなのためかもしれない。イエスもそれを望んでいるのでは?誰かが彼を追い詰めるなら…私がやるぞ。」と考えるようになる。
ユダはカネ目当てに師を売るようなただの裏切者ではなく、非常に賢い人物として描かれ、イエスへの憧れや、羨望、嫉妬などの感情が深く表現されている。密告後、後悔して懊悩するユダは、より人間臭い。
ユダに強く心を惹かれ共感する方も多いのではないだろうか。
さらにイエスとマグダラのマリアの愛情が鮮やかに描写されたことで、よりイエスとユダの「光」と「影」が際立つように作られている。
特に、2人が激しく言い争う「最後の晩餐」は圧巻だ。
正反対の存在の2人なのに、なぜか1人の主人公の内面を描いているようにさえ感じられる。これを「文学」ではなくて「音楽」でやろうとしたのが凄い。
さらに『ジーザス・クライスト=スーパースター』以前の映画や演劇では「復活」まで必ず描いていたそうだが、この物語では磔刑に処されて幕が下りる。1971年に初演された時には、どれだけ世界中に衝撃を与えたことだろう。
しかし、なぜ復活まで描かないのか?は、終演後のカーテンコールで明らかになる。キャストが順番に登場し、おしまいに、マリア、イエス、ユダの3人が並んで下りてくる。カーテンコールで「復活」が表現がされているのだ。
『ジーザス・クライスト=スーパースター』京都公演は6月2日まで。
その後11月まで全国ツアーが行われる。
イスラム組織ハマスとイスラエルの戦闘が続く今だからこそ見てほしい作品だ。2000年以上前、激しく生きたイエス・キリスト。
1人の青年としての彼の実像を、客席から覗いてみてはいかがだろうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?