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69,940㎞~5年間の歩み。

写真はちょうど5年前の今日。家族3人での最後の写真。この数時間後に長女が産まれ、そんな娘も明日で5歳になる。

記憶が曖昧で。たしか雪が降る中、代車の白い小さな軽自動車を転がして、90分かけて旭川市の産婦人科に向かったような記憶がある。本来なら60分程度でつく病院も、時速40キロを出すのが精一杯の精神状態。2,208グラム。低体重児。2017.2.14

私は娘が産まれるおよそ10日前に、国道39号線で交通事故を起こした。自分の車も相手の車も廃車になるような事故だった。数日後に出産を控えた妻と3歳の息子は、当時後部座席に乗っていた。Y時の交差点で左から来る車を交わそうとし、センターラインをはみ出しそのまま蛇行して対向車と衝突した。色々な方に迷惑をかけてしまった。

衝突直後、相手の方の安否を確認するのに、ぐしゃぐしゃになった車のドアをこじ開けようと必死になっているいる間、3歳の息子が泣きながら私と妻にぶどうのグミを手渡しでくれたのを鮮明に覚えている。あの小さなぶどうのグミを、半分にちぎり、片方は私に、もう片方は妻に渡した。袋の中の最後の一粒だったのだと思う。

車両保険に入っていなかったので、まるっと新しく車を購入することとなった。初めて買う新車だった。リスタート。決意。

実はあの日で私は一旦亡くなり、だがしかし、神様がチャンスをくれて生かしてくれた設定で生きることにした。(実にスピリチュアルですね笑)たしかダルビッシュ投手もラロッカ選手に打たれた夜、東京ドームホテルに戻ってから、40歳無職の自分を想像し、一回だけ神様が20年後に戻してやるからとチャンスをくれて、そこから頑張り始めたという話を聞いたことがあるけれど、それの下位交換のような話。

時がたち、娘が低出生体重児だったことも、事故後にケガによって妻や産まれてくる娘、そして相手の方に後遺症が残るのではという不安に苛まれたことも、その一つひとつが経験値となり、経験は価値観に多大な影響を及ぼすような気がしている。

結婚した当時は、とある作家に影響を受け、遅くきた中二病のような状態にあり、「幸せになりたい」ともらす男性を本気で軽蔑していたし、家の中に家族写真を飾ったり、ショッピングモールのフードコートで家族で食事をしたり、ファミリーカーと呼ばれる車に乗ることに、強烈な抵抗感を覚えていた。何に焦り、何に抗い、どうなりたかったのか。もはやその理由すら思い出せず、「跳ねっ返りは若さの表れ」ということにしておきたい。

一転、振り子が真逆にふれたかのように、スマホの中は子供の写真が占領し、ショッピングモールではフードコートどころか、アイスクリームとタピオカミルクティーを4人で仲良く飲んでたりする。5年前に買った車のメーターは、69,940㎞を刻み、移動距離は家族4人で過ごした時間におおよそ正比例するだろう。69,940㎞の間、人間ひとりの価値観はここまで変わるものなのかと、私が一番驚いている。

最後にちょっとした話を。

ちなみに私は占いとかスピリチュアルの類いはあまり信用しない。何故だか高校一年生になるまで血液検査をしたことが無く、それまでずっと自分はO型であると勝手に信じ込み血液型占いも「いて座のO型」を見て一喜一憂していた。ある日献血に行き検査をしたところB型であることが判明し、「占いとは??」という難解な問いにぶち当たることになる。

そんな私でもご縁を感じた巡り合わせの話で。実は4月1日までにどうしてもまとまったお金が必要で(37歳がんばれよ)、先週の金曜日に5年前に買った車を売却してきた。

今は借りてきた車を乗っているのだが、借りてきたファミリーカーが事故を起こした車と同じナンバーだった。

一周回って戻ってきたよ、5年前の自分よ。

5年後に、全く同じ価値観で生きていたら、それこそ自分で自分に失望するだろう。攻めに転じよ2022年。次は買った家を売ってると思う。

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