記録

 書くのは疲れる。過去を想起しながら、因果が正しいか確認しながら、文の構成を考えながら、語の意味を調べながら書くのは集中力と時間を多く費やす。
 しかし、記録せねば忘れる。昨年の出来事を思い出そうとして失敗した。いつどこで何をやったかはツイートを遡れば知れる。その時何を思っていたかがはっきりしないのだ。キャラクターの心情が不明瞭では物語を十分に楽しめない。これでは昔話の感傷に浸れないのだ。行動から当時の感情を推察することはできるが、脚色された話に事実が埋もれるのは気が引ける。
 とは言え、忘れたものは思い出すのを待つ他ない。今自分にできるのは、今思い出せる範囲の行動・感情を記録に残して未来の自分に献上することである。ただどれほどの時間を要するのか不明であるしクソ面倒なので、実際にやるのは日記か週記かを2月5日から付ける辺りが妥当であろう。

 良かった。日記を書く理由ができた。
 と思ったが、これだとネット上に公開する理由が無いではないか。俺だって知らん学生の平凡な生活記録を毎日読む気は起きない。見切り発車はいいが題材探しが大変だ。

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