好きなことができない人生に意味はない |たか

初めまして、たかです。


世の中に数えきれない程の記事がある中から、

当記事をご覧頂きありがとうございます。


突然ではありますが、

3分ほど自己紹介をさせていただきます。


僕は現在、「好きなことができない人生に意味はない」を人生のテーマにして、自分が好きなバスケや旅行、飲み会、読書、を思う存分楽しみながら仕事をしています。


ビジネス自体は19歳の頃に、GoogleやYouTube、店舗で販売されている書籍を見漁っているうちに、ある1つのサイトと出会い、物販ビジネスから始めたのがきっかけです。


そして現在は、

・アパレルショップ運営

・転売

・せどり

・アフィリエイト

・コンテンツビジネス

・コンサルタント事業

etc…

と、様々な事業を展開しております。


この記事では、

何かお役に立てればと思い、昔〜現在の僕に至るまでの物語を綴らせて頂きます。

(ここからは口語体になりますが、ご了承ください)


ーーーーーーーここからーーーーーーー


小学校〜専門学校入学までエリート街道を歩む


大まかに言うと僕は、僕は小学校入学から専門学校入学までとても幸せな生活を送ってきた。


小学校1年生の頃から周りのリーダー的存在となっていて、いつも周りからは頼られていて人が集まる状態だった。

さらに、1年生の頃から空手を始めていて、6年生の頃には全国大会に出場したこともあり、身内の大会では、優勝〜3位までに入ることは当たり前になっていた。

画像1

(画像は今までに受賞したトロフィーやメダルです)

賞状は多いのであえて載せていないが、およそ40枚は超えている。


中学生の頃は、陸上部に入部し、主に走幅跳び、三段跳びを専門種目として活躍していた。

走幅跳では花開かなかったものの、三段跳びでは地方大会で7位に入り、大阪府大会に出場することができた。


大阪府大会では良い記録は残せなかったものの、「世の中には自分より上のレベルの人が山ほどいる」ということを思い知らされたのは今でも良い思い出だ。

中学の頃から、異性のことが気になり始め、自分の中で「今日は10人の異性と話すまで帰れま10」というルールを作って楽しんでいたこともあった。


高校は、偏差値が50後半程の、平均より少し賢いとされている進学校へ入学した。

高校では、バスケ部に入部し、1日中バスケのことを考えられるほど、バスケに熱中していた。


なぜバスケ部に入部したのかと言うと、「スラムダンク」や「黒子のバスケ」などのアニメに憧れ、入部を決定づけたのは「NBA」という世界最高峰のリーグで活躍していた「アレン・アイバーソン」という選手に憧れ魅力を感じたからだ。


僕の高校のバスケ部は公立高校なのに、3学年合わせて約60人ほどの多さで、大阪府の中でベスト16にまで上ったことがあり、公立高校大会ではほぼ毎回ベスト4に入るほどの部活だった。


中々良い成績を誇っているため、僕が入部した時の周りのメンバーは、中学校の頃にキャプテン・副キャプテンをしていた人、地方大会の選抜選手に選ばれた人など、他の高校からの推薦を蹴って入部した人など、強いメンバーが集まっていた。


入部初期の頃は、周りはこのような強いメンバーばかりで自分は試合に出るどころか、ろくに練習にもついていけなかった落ちこぼれの部類だった。


自分はそのような状況が嫌で仕方なかったため、部活での3時間の練習に加え、朝練1時間30分、昼練30分、自主練習2時間といった、1日の練習時間が合計7時間という生活をほぼ毎日送っていた。

それに加え、朝練は「他の誰よりも早く体育館に入る」ということも徹底していた。


この努力が実ったのか、僕はBチーム(2軍)から、Aチーム(1軍)に上がり、Aチームで練習して実力を伸ばしていくことができた。


さらにそのおかげか、数多くのメンバーの中からユニフォームをもらい、ベンチ入りすることもできた。

スタメンまでとはいかなかったが、実際に公式戦に出場し、得点を決めることもできたため、個人的には良かったと思っている。


バスケ部での経験のおかげで自分に自信がつき、学生生活も友人とよく遊びに行ったり、デートにも頻繁に行っていた思い出がある。

ただ、よく遊んでいたせいで、勉強がおろそかになってしまい、数学のテストで100点満点中4点を記録したことがあるのは、今では笑い話と化している。苦笑


僕は将来何かスポーツに携わった仕事がしたいと思ったため、スポーツトレーナーを養成する専門学校へ入学した。

学校には、スポーツが大好きな人ばかりが集まるため、話がよく合い、とても楽しい生活を送っていた。

学校の勉強や国家試験対策も順調に進んでいたため、このまま楽しい人生が続くんだろうと思っていた。


エリート街道から一気に崖っぷちへ

楽しい学生生活を送っていたため、あまり悩みや不安はなかったのだが、唯一不安だったのは「お金」についての悩みだった。

この頃僕はアルバイトをしていたが、僕自身雇われて働くということが嫌いだったため、すごくストレスを感じていた。


そのため、毎日のようにネットサーフィンをして楽して稼げる方法がないか探していた。

すると、偶然僕の目にあるサイトが映った。


そのサイトには、

「20円だけ僕に預けてください。1年後に1億以上にして返します!」

こう書かれていた。


そのサイトはとても設計が綺麗で、内容も充実していたため、情弱の僕からすると「すごい」の感情しか湧いてこなかった。

そして、そのサイトにある記事や動画をひたすら見漁っていると、30万円の高額塾への入会のオファーが来た。


30万円。ただの学生からしたらとんでもない金額だ。

ところが、当時の僕は何が何でも楽して稼ぎたいと思っていたので、この金額を高いと思うよりは、これで人生が変わるという思いの方が勝っていた。


僕は、これまで頑張って貯めていた貯金やお年玉を片っ端から集めた。

すると、運良く30万円を集めることができたため、その30万円を握りしめて、銀行へ向かった。


銀行に向かう途中は、不安とワクワクの2つが入り混じっていて、言葉では言い表せない感覚だった。


そして、勇気を振り絞って30万円を一括で振り込んだ。

その時は「これで人生が変わる」という思いしかなかった。


ところが、現実はそう甘くはなかった。


30万円も払って経営塾に入会したはずなのに、入会した後にメールが返ってくることはなかった。


僕は不安になったので、サイトに記載してあった電話番号に電話をかけてみた。

しかし、ここでも電話がつながることはなかった。

しかも、電話番号の下には「必ず電話に出ます!」と書いてあったため、余計に腹が立った。


僕はここで初めて詐欺にあったことを実感した。


今まで、詐欺なんてテレビの中だけの出来事だと思っていたため、

「詐欺なんて引っかかる方が悪いじゃん」

というような考えを持っていたし、自分の身に起こるとはこれっぽっちも思っていなかった。


どれだけ考えても、現実を受け入れられなかった。


これまでは何不自由ない生活を送っていた。


嫌々ながらもバイトをして、友達と遊ぶためにお金を貯めたり、将来のために取っておいたお年玉など、そのお金が一気に奪われたのには本当に納得がいかなかった。


元々そこまでバイトをしなくても生きていくことはできたが、手元にあるお金を全て奪われたため、前よりも多く働かざるを得なくなった。


ここから僕の体と心はボロボロになっていく。


週7労働地獄、迫り来る返済の圧力


僕はお金が奪われた上に、この頃はクレジットカードの返済も残っていた。


手元にお金はないのに、容赦なく迫ってくる返済期日。

本当にストレスと不安で頭がおかしくなりそうだった。

しかも、その返済額は結構溜まっていて10万ほどは残っていた。


手元にお金がないため、嫌でも働くしかない。

しかも結構な額が残っている。


そのため、僕はバイトに入る回数を前より倍にし、時には週7で働く日も作って必死に働いた。


だが、学校に通いながら週7で働いていたため、疲れがピークに達する。


普段できることでもミスを連発するし、そのせいで責任者からは怒られるしで、その上返済のプレッシャーがある。

どんどん負のループに陥っていった。


僕は「このままでは心身ともにボロボロになって、前のように楽しい生活を送ることができない」と思い、再び効率よく稼げる方法はないかと探し始めた。


堀江貴文氏、与沢翼氏、孫正義氏、ひろゆき氏、前田祐二氏など、本当に稼げていて有名な方の動画を見たり、名もない動画やサイトも片っ端から見漁った。


すると、あるサイトに出会い、そのサイトではせどりや、転売などの物販のやり方について詳しく書かれていた。


そのサイトの運営者は、運営者自身も12時間労働が強いられるブラック企業で働いていたが、物販ビジネスを始めて60日で、会社の給料を超え、脱サラしたと書かれていた。


僕は「これだ!」と思い、そのサイトでひたすら勉強して、自分も物販ビジネスで稼いでいくことを決意した。


学生で起業、初心者が波に乗る


一般的に、雇われずに個人の力で稼いでいく状態を「起業」と呼ぶので、僕は「物販ビジネスで起業」したということになる。


最初は右も左も分からない状態だったが、出会ったサイトに書いてあることをひたすらメモしたり、音声を聞きながら登校していた。


あまり良くないかもしれないが、授業中もBluetoothのイヤホンを片耳に突っ込んで音声学習をしていた時もあった。


まだ初心者だったので、一番難易度が低い「不用品転売」から始めることにした。

(不用品転売とは、今までに自分が購入した中で、もう使わないものをフリマサイトなどで販売することです。)


不用品転売を始めてから成果を出すまでは意外と早かった。

30000円弱ほどだが、不用品転売のみで稼ぐことに成功した。


このビジネスに可能性を感じた僕は、もっと極めようと、15000円する古本せどりの教材なども買い、さらに勉強を重ねていった。


まずは、実際に店舗に行って色んな商品について知る努力をした。

その次は、物販専用のアプリを使って「この商品は利益が出る、この商品は利益が出ない」というように商品の品定めも始めた。


お金も払ったため、ひたすら学びひたすら行動あるのみだった。


またここでも少しずつだが、成果を出すことができた。

成果が出た時は楽しくて仕方がなかった。


やはり、物販は有形資産なため、ビジネス初心者でも稼ぎやすいビジネスモデルだと思う。


僕は、物販ではある程度稼げるようになったため、他にも収入源を増やそうと、違うビジネスは無いのかと探し始めた。

また違うビジネスを探している時に、Twitterを眺めていると「ブログは稼げる」という情報が耳に入ってきた。


しかもブログは、どんどん上のレベルに上れば、「自分が何もしていなくても収益が上がる」というビジネスモデルだということも知った。

こんなに美味しいビジネスモデルだと知ったら、やらない訳にはいかない。


僕は今までやってきた物販を一時中断し、ブログで稼ぐことに変更した。


ビジネス変更!訪れる悪夢の期間


ブログを始めるには、サーバーやドメイン、デザイン、コピーライティング、など。

最低限必要なツールや知識が多いことを思い知らされた。


右も左も分からない状態からでもブログを始め、

ある程度のデザインで完成させることができた。


僕は「バスケ」に関しての情報発信で稼いでいこうと決意した。


記事の書き方など分からないなりにも、ひたすら記事を書き続けた。

1日で10記事書いたこともあった。


「100記事を超えれば、収益は上がりやすくなる」とも言われていたので、それを信じて書き続けた。

続けることが大事だと思い、ひたすら書いた。


だが、収益は0円だった。

どれだけ記事を量産しようが、どれだけ努力しようが1円も稼げなかったのだ。


「記事が少ないせいだ!」と思い、またひたすら記事を量産した。

それでも収益は0円。1円も稼げない時期が5ヶ月間も続いた。


この頃は、ブログの収益を増やすために、TwitterとYouTubeでも活動していた。


この頃の僕の作業量は、


通学の電車の中で10ツイート予約、終わったらひたすらリプで絡む

授業の合間の10分休憩はリプ返信

昼休みはnote更新、ブログ記事構成

帰りの電車はYouTubeネタを考え、TwitterやYouTubeで情報収集

帰ったらすぐにYouTubeを撮って投稿し、ブログを1〜3記事書く


これらの作業を毎日のように繰り返していた。


これだけの作業量なので、大好きな友人とも一緒に帰ったり、遊ぶことも出来なかった。

僕は友人からよく遊びに誘われるため、毎回その誘いを断るたびに胸が痛んだ。


好きなことも封じて、ビジネスに取り組んだのに収益は0円。


物販では稼げた経験があるので、なおさら心を折られるような感覚だった。

だが当時の僕は、ターゲット選定やマネタイズ方法、売れる仕組みの作り方などを知らなかったため、当たり前に稼げる訳がなかったのだ。


稼げない時期が長く続いたので、「やめようかな」と何度も何度も迷った。

しかし、他の人のブログやTwitter、YouTubeで成果報告をしているのを見ると、諦めることがどうしてもできなかった。


他の人に死んでも負けたくなかったのだ。


そこで僕は、

「本当のプロから学んでもっと上へ這い上がるしかない」

と覚悟を決め、本物のプロを探し始めた。


借金まみれを覚悟し、一気に110万の自己投資


お金を払って学ぶと決めた以上、Twitterを経由して稼げていそうな人を片っ端から探した。


そして、稼げていそうな人がいたら速攻で電話をかけて話を聞く。

終わったらまた稼げていそうな人を探して電話する。

このループを何度も何度も繰り返すと、30人以上は話した。


やはり、これだけ電話すると、


「この人は稼げてるな」

「この人は見かけだけだな」


ということが感覚でわかるようになってくる。

僕は、30人以上話した中で、一番印象に残った人のコンサルティングを受けることを決断した。


やはり、無料でコンサルをしてもらうわけではないため、費用はかかる。

コンサルティングを受けることを決めた後に、どれくらいの費用がかかるのか聞いてみた。


僕の中では、10万、20万くらいだろうという予想だった。

だが、実際に告げられた価格は50万円だった。


以前に、30万の詐欺にあっている。

その金額よりも20万も高い。

バイトや物販で稼いだ金額を合わせたとしても、50万に満たない。


本当にどうしようか悩んだ。


しかし、このままコンサルを受けなければ、

今までと同じ道を歩んでしまうということが、直感的にわかった。


悩みに悩んだ末に僕が思いついたことは、借金をすることだった。

一時的にマイナスになったとしても、最後にプラスになればOKだと思った。


「最後に笑顔でいられた奴が勝者だ」


部活をしていた頃から、僕はこの考え方を持っていた。

こんなところでもこの考え方が活きてくるとは思わなかった。


そして、借金をすると決めてからの行動は早かった。

まずは親に頭を下げて「年内に60万にして返す」という約束の元、30万円を借りることができた。


次は、少し資産を持っている親戚の元へ行き、頭を下げて50万円を借りることもできた。


合わせて80万の借金をし、今自分の銀行に入っている全ての金額も自己投資に回すと決断し、合計110万の自己投資をした。

この110万はコンサルティングの費用に当てたり、書籍や教材にも惜しみなく使った。


たった3ヶ月で完全自動収入のみで月20万を生み出す仕組みを構築する


今までは「無料でなんとか稼げるようになる」という風に努力していたが、自己投資を開始してからは自分の成長速度は何倍にも何十倍にもなった。


その結果、まずは初月で3万円の収益化に成功した。


今まで5ヶ月間も収益が0円だったのに、

自己投資を開始してからは、あっさりと3万円を稼ぐことができた。


「こんなにもあっさりと稼げてしまうものなのか!?」と、とても驚いたことっを覚えている。


どれだけ努力していても1円すら稼ぐことができなかったのに、プロから教えてもらうと、こんなにも早く成果が出てしまう。


ネットビジネスの世界は95%もの人が、月5000円すら稼げていない世界だ。

だが、自分は一瞬にして残り5%にあっさりと入ることができた。


そして、その次の月には10万円の収益化に成功し、

3ヶ月目には、自分が何もしなくても勝手に収益が発生する仕組みを構築でき、その仕組みで20万円を稼ぐことができた。


世間一般的に言うと、不労所得と呼ばれるものだ。


今までなら「絶対にありえない」と思っていた世界が、今では「自動で収益が発生するのが当たり前」と言う価値観に変わっている。


今までは、ゴールがわからず、暗闇の中を手探りで進んでいる感覚だった。

そこで一気に自己投資をしたことによって、

ゴールが明確になり、道筋も見え周りが明るくなったような感覚だった。


もっとわかりやすく言うならば、大阪から東京まで行くとすると、

周りの人は徒歩で進んでいる中、自分は飛行機でショートカットするような感覚だ。


この記事を読んでいる人全員に「自己投資しろ!」と言うつもりはないが、僕の経験上自己投資をすると成長速度が段違いに上がって、収益化までの時間が早くなると言うことだけ伝えておく。


しかも、僕が作り上げた仕組みは構造上潰れる可能性は限りなく低く、現在も何もしなくてもどんどん収益が右肩上がりに上がっている。


たった3ヶ月でこれだけの仕組みを作れたのは、本当にラッキーだった。


月20万を自動化できた最強のビジネスモデルとは?


僕はブログで稼ごうと思っていたが、実は月20万を自動化できたのはブログのおかげではない。


だが、このように言うと少し語弊を生んでしまう。

正確にはブログも扱うが、ブログでマネタイズをしている訳ではなく、他の媒体にてキャッシュポイントを作って、そこで収益を得ている。


要するに僕が唱える最強のビジネスモデルは、

ブログ+〇〇

このビジネスモデルだ。


〇〇の中は、色々と種類があり、これといったものは決まっていないため、あえて空白にしている。


流れを説明すると、ブログでお客を集客し、そのブログから自分が本来集客したい別の媒体に流し、そこで収益を得れるようにするものだ。


初心者には少し難しいかもしれないため、この部分は流し読みして「ふ〜ん」と思うくらいで大丈夫だ。


そして、何でマネタイズをするのかと言うと、情報発信だ。


自分の得意分野や、これなら人に教えることができる、といった自分の得意分野を発信する。

そして、自分が発信することに興味を持った人や、その発信によって悩みを解決できる人を集める。


その中で、アフィリエイトをしたり、自分で作った商品をオファーして買ってもらうことで収益を得ることができる。


こう言うと「押し売りしているみたいで嫌だ」と思う人が少なからずいるかもしれない。


だが、逆に言うと、その商品を使うことによってお客さんが幸せになることができるのなら、その商品は絶対にお客さんの元に渡る方が良くないだろうか?


商品をオファーすることでお客さんは幸せになれるのに、自分の感情で商品をオファーしないとなると、それはかえってお客さんの幸せを潰す行為をしていると僕は思う。


わかりやすく言えば、あるお客さんが、

「この商品良さそうだな〜、買ったいいことありそうだな〜」

と思っているところに、

「こちらの都合により、あなたにはこの商品を販売することはできません。」

と言っているようなものだ。


もし自分がこのように言われたらどう思うだろうか?

おそらく気持ちが良い人は一人もいないだろう。


僕は商品をオファーするときは、購入してくださるお客を必ず良い未来へ導くという信念を持って行動している。


そのため、アフィリエイトした時や、自分で作った商品をオファーした時でも、クレームをもらったことがない。


なぜなら

「お客さんの悩みを解決するにはどうしたらいいのか?」

「お客さんが叶えたい夢は何なのか?」

ということを必死に考えているからだ。


僕は赤の他人でも、一度自分に関わってくれた人には、何か恩返しできないかを考えるようにしている。


その方が、相手も喜んでもらえるし、喜んでもらえると僕も嬉しくなるからだ。

常にWIN-WINの状況を作り出すために努力は怠らないようにしている。


少し話が脱線してしまったが、僕はこのように思っているから、商品をオファーすることは何も悪いことではなく、むしろ良いものだと思っている。


そして、ブログと何かもう一つ媒体を使って、自分の得意分野で情報発信をすることで、僕は月20万を自動化したし、これからも自動収入のみの収益もどんど上がっている。


おそらく、収入の自動化をしたい人は多いと思う。

幸いにも僕の得意分野は「収入の自動化」なので、これから収入を自動化するノウハウも発信していこうと思う。

だから楽しみにしておいて欲しい。


チート人間との出会い、さらなる高みを目指す


僕は月20万を自動化できた上に、自動収入だけでも生活していけるレベルになったため、これからはゆっくりと生きていこうと思っていた。


そして、自動化してから結構の月日がたったある日、僕はTwitterを眺めていた。


すると、

「8ヶ月目で月収1000万円達成」

という実績を持った人物のアカウントが流れてきた。


どうも胡散臭すぎた。

だが、気になって仕方なかったので、実際にアポを取って電話をしてもらった。


この人をRさんとしよう。

Rさんは通話した瞬間に僕のあらゆる固定概念や、常識をぶっ壊した。


話していくと、現在は年収は2億を超えているらしい。

しかもほとんどが、僕と同じで自動収入だった上に、僕が構築した仕組みよりもとんでもなく質の高いものを作り上げていた。


さらにRさんは、

「そろそろこの2億も自動化して、世界中を旅して回ろうかなって思ってるんですよね」

っと言い放った。


さすがに意味がわからない。

2億円を自動化することができるのか?


だが、世の中には3億、5億もの金額を自動化している人がウジャウジャいるらしい。


Rさんは全てを論理的に説明していて、しかもその説明は自分の体験をベースにしているため、説得力がエゲツなかった。


いわゆる、スーパー論理武装状態だ。


またここでも、上には上がいることを思い知らされた。

その上自分は、まだちっぽけなレベルで満足していたと思うと、すごく恥ずかしくなった。


僕は次は、Rさんが見えている世界を目指し始めた。


そのため、Rさんにコンサルをお願いした。

コンサルを受けてからは自分が目に見えて成長していくのがわかった。


やはり、より高いレベルの人から教えてもらうと、それだけ成長速度も速くなっていく。


まずは年収1億を自動化しようと、

最近は自動収入だけではなく、始めの頃に行っていた物販の他にも、様々なビジネスに力を入れている。


どれも上手くいく気しかしなくて、前よりもビジネスをするのが楽しくなっている。


Rさんのコンサル生には、物販で月380万を達成している人もいた。

なおさら火がついた。


まずはその人のレベルにまで一瞬で上がって、次はRさんのいる世界にまで辿り着きたい。

というか辿り着くしかない。


もっと高いレベルにまで登り詰め、

自分の人生のテーマにしている「好きなことができない人生に意味はない」をもっと実現していこうと思う。


ーーーーーーここまでーーーーーー


僕から伝えたい重要なこと


僕は、冒頭でもお話しした通り、

「好きなことができない人生に意味はない」を人生のテーマにして現在も活動しています。


そして、このテーマは僕自身だけではなく、僕に関わってくれた人にも達成してもらいたいと思っています。


その理由として、僕自身、

僕だけが幸せになっても、100%の幸せを感じることができないからです。


僕は、僕に関わってくれた人全員が、

自分の好きなことをして幸せに生きていけるようになって、初めて幸せを感じます。


僕が情報発信をするのは僕のためでもあり、僕に関わってくれる人を幸せにしたいからなんですよね。


文中でもお伝えした通り、僕は常にWIN-WINの関係を目指しています。


そのため、僕が今持っている情報やこれから触れていく情報、身につけていくスキルやノウハウを惜しみなく全力で公開していこうと思っています。


これからの発信を楽しみにしながら、着いてきていただければと思います。


noteでは見れない記事をメルマガで


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?