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占いとは何なんだろう? | タカミ

一般の「占い」が謳う「占いは真理」「占いは統計学」「占いは科学」「占いは学問」というのは正しいのでしょうか。どの意見も正確ではないと考えます。占いは統計学ではないし、科学でもない。確かに歴史において過去では学問であったし、現在も学問の「対象」ではあるとはいえる。真理というのは言い過ぎであまりに断定的な気がします。

かといって「人を騙すもの」「うそ」「詐欺」の類なのでしょうか。その考えも偏見に満ちているように思えます。もちろん、一部にいかがわしい方たちがいるのも確かでしょう。

また、占いは物事を生まれや出自で決めつけるための道具ではありません。名前がどうこう、ご先祖がどうこうと序列や優劣をつける行為には意義を感じません。

では、筆者の考える易とは何か。


・生きるためのものさしを得ること
・学問や科学ではないが生きるための知恵
・目に見えないものをとらえるスキルを見つけるツール



易は物事の変化をみつめる術です。人生の課題に直面した時にそれをどう受け止めるのか、きっかけや気付きをもたらしてくれます。常識では判断しかねる問題や判断に困った時など、易のものさしを参考に違った角度からも考えることが可能になります。もし東大生が「大学をやめて、料理の修行に海外にへ行くべきか」悩んでいたとします。ほぼすべての人が「とりあえず大学を出ておこう」とアドバイスするのではないでしょうか。しかし、易では違ったアドバイスが導き出されることがあります。どのような選択をするにせよ、より深く考えるきっかけとなります。

また、易を通して別の視点を持ち、生きるための知恵となりうるのではないかと考えます。苦しみは心の中から生まれる、といわれるように物事の捉え方で気持ちが楽になることがあります。コップに半分水が入っている時に、「半分しかない。もっとがんばろう」「半分もある。ポジティブに考えよう」など捉え方はそれぞれです。易ではどのように物事と向き合うか、ヒントをもたらしてくれます。

現代では宗教的なものが依然として存在していますが多くの人は自覚していないかもしれません。例えばお金やナショナリズム、学歴や出世、モテるかモテないか……などなど。目に見えないけれどみんなが価値があると信じているものが大事だとなんとなく思っています。易は目に見えないものへの読解力(リテラシー)を高める役割があると考えます。超越的なものの存在を知っておくのはどのような選択をしていくのか、考える上で有意義なのではないでしょうか。

上記が、筆者が易を生業にする上で大事に考えていることです。易は本来は人を不安にさせるものではなく、可能性を開くものであると思います。易を上手に活用するためのお手伝いができればと日々過ごしています。




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