マカランド・デシュパンデの演技に見るペッダイヤのスタンス─『RRR』8回目の感想として─
【序】 博識な諸先輩方やインド関連有識者の方の考察には遥かに及びませんが、中の人のファンの視点からというのは私にしか書けないことかなと思うので拙文をしたためます。
ペッダイヤって森のシーンは高めの声だけど、それ以外は低音で喋るじゃないですか(みんながペッダイヤの声を認識してる前提で話し出す強火ガチ勢)
中の人の素の声に近いのは高めのほうで、ついでに言うとペッダイヤは一回も笑わないけど、中の人は大抵ニコニコしています。
つまりペッダイヤはかなり意識的に抑えた演技をしてる役なんです。
ペッダイヤがビームの名付け親なのはマカランド・デシュパンデのインタビューにもあった通りですが、それにしてはペッダイヤってビームの手下感強くないですか?
ネガティブなことこそ言うけど、ビームの指示には咄嗟のことでも機敏に動くし(石炭ダッシュ)、ビームもペッダイヤに意見は求めても、方針や意思決定は常にビーム。
ジャングとラッチュはビームをアンナと呼んでるから、ペッダイヤは一人だけ倍くらいの年齢でチーム羊飼いとして活動しているわけです。普通はもう長老として村にいる歳でしょう。この事から現時点でもかなり有能な人物だと推測できます。
にも関わらずリーダーはビームで、ペッダイヤはあくまでもビームの手足として動いています。
初めて観た時からそこに違和感がありました。彼の立ち位置は一体なんなのか。
ひとつはラーマの傍にヴェンカテスワルルがいることに対応する、傍で見守ってくれる身内枠でしょう。ビームは字幕外でしょっちゅう「ペッダイヤ」と呼び掛けてるけど、ラーマも大概「ババイ」言いまくっています。
虎捕獲の後「どう思う?マッリは生きてるのか?」とペッダイヤを見上げるビームの不安そうな顔。何のつてもなくデリーに出てきて難航する奪還作戦に、心が折れそうになることは何度もあったでしょう。そんな時も弟分のジャングやラッチュには兄貴の顔でいなきゃいけない。でもペッダイヤになら弱音を吐ける。そんな精神面での支えになってるのは確かだと思います。
その割には返事できずに憂い顔しちゃってるけど。スワルルババイだって傍にいてくれるだけで大したことはしてないから、まああんな感じでいいのかな……?
もうひとつ、既にリーダー的な役割からは退いたけどまだ実力と経験を必要とされる、言わば定年後に再雇用された元上司みたいな立場で奪還作戦に参加しているんじゃないかと考えています。
先代のリーダーという考え方もあるし、例えばビームの父親が先代で、それを補佐していたペッダイヤが今も顧問や相談役としてリーダーを支えているとも考えられます。私はこちらを推したい。
彼が先代のリーダーであったとすれば、自分は代替りした身としてビームの下につくことに納得はしていても、もうちょっと意見を言いそうじゃないですか。
ペッダイヤはビームに何か言われて「ん」と頷くのが基本。ペッダイヤの言動は、年上の身内として尊重はされてるけど、あくまでもリーダーを信頼し忠実に従う部下という態度です。元リーダーならもう少し対等な関係になると思うんです。
シータがご飯を食べさせてくれるシーン、ムスリムのお母さんが手を合わせている時に、親父さんとペッダイヤは既に食べ始めています。そこがネタにされたりしていますが、日本も昔はああでした。何をするのもまずは年嵩の男性から。食事も風呂もまずはお父さんからです。その感覚のせいで、ペッダイヤの立ち位置がよくわからないものになっている気がします。
ここで話が冒頭に戻ります。ペッダイヤの中の人は様々な役をこなしてきたベテラン俳優ですが、舞台が好きで舞台をやるための資金を映画で稼いでいるような人なので、拘束時間の長い大きな役よりも出番の少ない脇役やカメオ出演大歓迎という変わり種。
そんな彼のスタンスは、先代からずっと補佐役を務めていると考えた時のペッダイヤと重なります。なんと素晴らしいキャスティング!ピンポイントで彼にオファーを出したというラージャマウリ監督はやはり神ですね。
自己主張しすぎず声も表情も抑えた演技は、自分の立ち位置と役割を理解して息子のようなビームを支え続けるペッダイヤの意志を表現しているんじゃないのかな……というのが、8Rめの感想でした。
だから別にいいんですよ、ジャングや柱や荷車に被られたって、ええ……(泣)