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半世紀ぶりに『ノンちゃん雲に乗る』を読みました

1月の読書会のテーマ本
『ノンちゃん雲に乗る』石井桃子
昨日読み終えました。

1951年に書かれた物語ですが、福音館からこの版で出されたのは1967年。私が持っているのは第6刷1969年です。
当時、400円でした😮
今も同じ版で出されているようですが、一体何刷になったのでしょう⁉︎

子どもの頃に馴染んだ本を読むのはちょっと緊張します。
記憶と違ってがっかりしないだろうか。
それとも新たな発見があるのだろうか。

どちらも殆どありませんでした。
石井桃子さんの文章は素晴らしい🤗
丁寧かつユーモラスで、静かに語っているのに情景が鮮やかに浮かびます。
子どもにおもねらない文章は気持ちが良いですね。

にもかかわらず、手放しで面白いとは思えませんでした。
むしろ初めて読んだ9歳の頃の気持ちを思い出して、苦々しい気持ちになりました。
これも本の持つ力なのでしょう。

ノンちゃんが医学生になったエピローグの部分を全く覚えていなかったのは当時読み飛ばしたのか、単に印象に残らなかったのか
いずれにせよ、幼い子どもにはピンとこない部分だったのかもしれません。

子どもの頃、この本を私に薦めたのは母でした。
母が読んだのかどうかは知りませんが
母にとって『ノンちゃん』と言えば映画です。
今でも印象的だったシーンを目を輝かせて語ります。

私は概ねいい子で、親に逆らったことはあまりありませんでした。
でも何故か母に薦められた本には抵抗がありました。
表向き素直ないい子でも、実は我が強かったのでしょう。
親子の感情って複雑ですよね。
大好きな親からも圧力を感じてしまいます。

他人ならいざ知らず、
親からこれは良い本だと手渡されると、
ちゃんと読めなかったらどうしよう
楽しめなかったらどうしよう
と思ってしまったんです、たぶん。

人の子の親になってからというもの児童書を読むと親目線になってしまうのですが、この本は違いました。
ノンちゃんの気持ちになって憤慨したり、
いい子過ぎるノンちゃんを少々疎ましく思ったり。

当時小学3年生だった私は、2年生のノンちゃんに対抗意識を持っていたのだと思います。
2年生の時に読んでいたらもう少し違う感想を持ったのかもしれません。

その頃の私は体育こそ大の苦手だつたものの
概ね成績の良い“いい子”だったし
2歳上の兄がいるのも同じ
引越しを経験している点も同じです。
だからこそ、大病した挙句今度は事故で生死を彷徨う体験をしたノンちゃんに嫉妬していたのかしら。

その癖雲の上のおじいさんが、
ノンちゃんに味方せずにお兄ちゃんの肩を持つと理不尽な気がしたりもしました(^-^;

今回読み直してわかったのは、
子どもの頃の私が石井桃子さんから教わったことがたくさんあるということ。

武蔵坊弁慶は定かではないけれど
那須与一のことはこの本で知りました。
この本の中のところどころの台詞が脈略なく頭に浮かぶことがあるのは、その頃の私に響く言い回しだったのでしょう。
他の作品も含めて、石井桃子さんは子どもの私の言葉を作ってくれた人のひとりなのだと改めて思います。

この本は誰に向かって書かれたのでしょうか。
出だしやエピローグは大人に向けて語りかけているようにも思えます。
でもノンちゃんの悲しみや悔しさはストレートに伝わってきて、
子どもの心の内の描写の巧さに舌を巻きます。

石井桃子さんは自分の中にいる子どもを
世に送り出したのかもしれません。
自分の子どもを持たなかったからこそ
純粋に生み出せたのかもしれない、という気もします。

読書会のテーマ本にならなければ
読み返すこともなかったかもしれませんが
半世紀たってもその頃に連れ戻す力のある物語でした。

新たな発見はあまりなかったと書きましたが
読み返して、前より“にいちゃん”が好きになりました。
時に耳に痛いことを言う雲のおじいさんは“いい子”の危うさを気にかけていたのだとわかります。

今、この本を読む子はどれくらいいるのでしょうか。
親御さん達も読んでいる人は少ないかもしれません。
少なくとも我が娘たちは読んでいません。
時代背景も違うし、生活スタイルも違います。
親子で少しずつ読むと良いかもしれません。

あれやこれや
思うところの多い読書となりました。

#ノンちゃん雲に乗る
#石井桃子

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