インクルーシブ教育は特別なことなのか?

私には、40年前から当たり前だった光景

◎「小学校に医ケア児が普通に通える」豊中市に行ってみたけど外国みたいだった件
2年前、こんな投稿をFacebookを読んだ時の気持ちを、残しておきたい。

この投稿を直接紹介したいのだけど、ここへの貼り付け方がわからない💦💦
2019.11.8 駒崎弘樹さんのFacebook
豊中市の小学校訪問リポートを、ぜひ読んでほしい。
以下は、このリポート投稿をシェアした時の、私の原風景の覚書。

私は豊中市で生まれ育ちました。
43年前の小学校の教室に、その子Kくんは普通にいて。入学式の日に、「みんなと同じようにできないことがあるから、みんなでお手伝いしてあげてください」と先生が話され、そういうものなんだと、何の疑問も湧かなかった。
だから、朝の出席確認では、Kくんの名前が呼ばれると、クラス全員で「はーい」と右手を挙げて返事しました。
いつ頃だったのか…ある日、Kくんがみんなと一緒に手を挙げた日。クラス中で拍手した。

30年後、私は障害児の親になりました。
そうならなければ、思い出しもしなかった日常が、私の原点です。障害児だからではなく、誰かが苦手なことができるようになったら、拍手が起こるのは、私が過ごした1年生の教室では、当たり前の光景だったように思うのです。

大阪市で母親になり、脳性麻痺の次男は17歳になりました。振り返れば、恵まれた環境ではあったけれど、私の原点との違いへの戸惑いや憤りは、正直なところ半端なかったです。

次男が3歳くらいの頃、偶然母と再会した恩師が電話で、
「豊中に帰ってこい!」と強く強く勧めてくださったことがありました。どうやら、H19年、次男が小学校入学の年に始まる、特別支援教育の準備に携わっていらっしゃるようで、豊中での環境を次男にと、想いを寄せてくださってのお電話でした。

長男の環境を、次男のために変えたくなかった私は、置かれた場所、ご縁のある場所こそが最適と決めたことをお伝えし、お気持ちだけ有難く…
とはいえ、その後、何度か後悔したことはあります。

今は、2人息子が日々幸せそうだし、私自身が、井の中の蛙にならず、視野を広げるきっかけになった。素晴らしい出会いをさせていただいており、これで良かったと思います。

故郷が当たり前であり続けてくれたこと、これこそがあるべき環境だとスポットを当ててくださったこと、感謝します。  2019.11.13 FB投稿より転記

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