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私のポンコツ

昨日、仕事で、近くの自社施設で打ち合わせに出かけた。現在、他に重要案件を抱えていて、忙しくて、正直、昨日の打ち合わせには行きたくなかった。

行きたくなかった理由はもう一つあった。一緒に出かける相手が、一緒に出かけたくない相手だったからだ。入社𝟤年目の、ペーパードライバー。自分が運転をしたことがないから、運転手のアシストをすることもなく、ただ座っているだけ。そして、仕事もできない。「この仕事、私がやりました!」とアピールするから、詳細を聞いてみると、全然わかっていない。よく聞くと自分でやったのは、誰でもできることだけ。今日、一緒に出かける人は、「使えない」社員だった。だから、出かけるのが嫌だった。その社員の教育係でもない私が、なんで、ソイツに気を遣ってあげなければならないのか、とイライラしていた。

・・・

仕事は滞りなく終わった。
会社に戻ってきて、あとは、社用車を、駐車場の所定の位置に停めるだけ。

我が社の駐車場は、「ゲート式駐車場」。つまり、車両が駐車場入口に進入すると、駐車券発行機から駐車券が発行され、その券を抜き取ると、ゲートが開き、入場できるようになる。出口で、駐車券を出口精算機に挿入し駐車料金を精算するとゲートが開き、車が外に出られるようになる。

ただ、社用車には、「パスカード(定期券)」が付いている。社用車に乗った社員は、出口で「パスカード」を精算機に入れると、ゲートが開き、精算機から出てきた「パスカード」を受け取って、外出する。会社に戻ってきた時には、「パスカード」を発券機の駐車券発行口に入れるとゲートが開き、発券機の駐車券発行口から出てきた「パスカード」を受け取ってから、入庫することになる。よくあるタイプの駐車場だ。

つまり、社員は、「パスカード」さえ持っていれば、自由に駐車場を出入りできるわけだ。


私は、会社の駐車場に車を入れるべく、ゲートに入るために必要な「パスカード」を出そうとした。

あれ?パスカードがない、

「パスカード」がない。出かける時に「パスカード」はケースの中にしまったつもりだったけど、ケースの中に、「パスカード」がない。

車の中に落ちているかもしれない。探してみた。
見当たらない。

外出先に戻って、駐車場から歩いた場所を探してみた、
ここでも、見当たらない。

ポケットの中、カバンの中を探してみた。
見当たらない。

これは、「失くした」可能性が高い。
とりあえず、外出先から上司に報告した。

・・・(中略)・・・

会社に戻って.「この手」のことを取り扱っている庶務課に、上司と一緒に行った。

庶務課の担当者に、『出かける時、ゲートを開くために機械に入れた「パスカード」を取り忘れたのだろう。」と言われた。そして、「次にゲートをお客さまに、盗られた、あるいは捨てられた、のだろう。」と。

私も、庶務課の担当者の言うとおりだと思った。

出がけに発券機に入れた「パスカード」を引き抜くのを忘れるなんて、私は、相当のポンコツだ。

・・・

ただ、私の中では、取り忘れ、置き忘れは「あるある」なのだ。自分自身がポンコツなことなんてわかっているから、気つけてはいる。ただ、すぐ忘れてしまう。時間に追われている時、疲れている時、別の大切な案件を抱えている時、苦手な人と一緒に出かける必要がある時、私は、多くの人が「当然にできること」ができなくなる。

ふざけているわけじゃない。
ただただ、できないのだ。忘れてしまうのだ。

・・・

今日は、一番シンプルにできないことを告白してみる。

私は左が分からない。

左、右の判断が、反射的に、できない。

ただ、困ってはいない。

なぜなら、反射的な判断ではないが、判断する方法があるからだ。それは、小1の時、自分で締めた窓に親指を挟んでできた、右手の傷に由来する。つまり、「親指に傷がある方が右手」と覚えている。

傷に触れる。傷があるので、「こっちが右手」と判断している。傷は「触覚」だからか、間違えることなく判断できる。

「傷がある方が右手」と覚えるように教えてくれたのは、母だった。

・・・

親指の傷は深くて、年中アカギレみたいになっていて治らない。小3でも、また、自分で窓を閉めようとして、同じ場所、つまり、右手の親指を挟んでいるので、傷は相当深い。冬にには血が滲んでくる時もある。2回も指を窓に挟むなんで、そそっかしいにも程がある。真性のポンコツだ。

ただ、この指の傷のおかげで、「右左がわかる」という一般的な生活に必要な判断力を保てている。そういう意味では、傷があって良かった、と思う。私の右の親指の傷は、私の「基準を示す印」であり、「手がかり」であり、「戒め」でもある。


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