転換点

だらだらと書いてしまうことが最近は心地よいのですが、いくつか。

社会福祉法人グローの性暴力、ハラスメントについての話題を何度かここに投稿したこと、それについて今もとても感情が揺れてしまっていてかなりしんどいのですが、心配して友人が連絡をくれて話をしています。新たに知り合えた方もいる。自分のなかであの時受けた理不尽は、表現活動を通して克服し昇華してきている実感があったのですが、まだまだでした。めちゃくちゃフラッシュバックしてはぐったりしています。なんとか仕事には取り組めていると自覚しつつも、でも、向き合える最後のチャンスと感じ、とことん考えたい。そして、連絡をくれたりこの話題を口にするとき、それぞれが自分ごととして語り合えていて、ぼくは未来は明るいと思った。まだまだ遅れているとも感じるけれども、諦めないというレパートリーの可能性がいくつも眼前に広がっている感覚があります。これまで考えてきた尊厳について、福祉も芸術も貫く尊厳について。

あとは、おやすみすると言っていたスペースですが、はじめなおしています。今週末から長いプロジェクトのひとつをはじめます。すでに進行しているけれど、ギアをあげるって感じですね。滞在希望者が名乗りあげやすいように要件化したほうがよいのかなとさっき湯船に浸かりながら思いました。仲間(すごすメンバーなので、すごメン)も募集できていなかったけど、出会い頭でそうなってくれてたりとか。いつものジレンマだけど、このわかりにくいときに飛び込んでくれる人を信用したいと思ってしまう癖があります。無闇に期待しすぎだ、とか、怠慢だと自分に突っ込んでいます。

あとは、なんだろう。

幼少のころから自分を俯瞰する性分で、実はこれが息苦しさをうんでいるのではないかとそんな気がしてきています。だからといってどうするか。そう捉えられただけでちょっと気が楽というか。あぁ、そうか、と。人生なんてものはなくて、ただすごす、これができること、それが尊厳の極みではないかと。