2019.12.15「ぼんやり考えていること」

同じようなことを複数書いてしまうでしょう…

・そういえばシェアハウスに住んだことがなかった。シェアハウスに苦手意識があったのは、シェアできるものが枯渇したときに存在できなくなるんじゃないかって考えてたから。友人が住むシェアハウスに遊びに行ったり、一泊させてもらったことはいくらかある。むしろぼく個人で時々やってきたレジデンスプログラムに他人に参加してもらったときの逆に近い経験が今回できるのではとわくわくしていた。呼ぶ側も呼ばれる側も型のない取り組みは、疲れるけれどもぐるぐる考えたり話し込んだり、それはそれは「精神と時の部屋」ばりに濃厚な時間となる。少なくとも自分の価値観(たとえば、朝からバタバタしたムードは苦手すぎる、とか)がくっきりしてくるし、案外そこ以外のこだわりは少なすぎるほうかもしれないし、ぼくが迷惑かけていることにはまだ気づけていない。

・たけしくんとは案外初日から住んでいけると感じた。それはヘルパーさんや親御さん、レッツが下の階にある安心感からかもしれない。

・ヘルパーさんが日々入れ替わる新鮮さと、それは家においては不安定な要素かもしれない。それぞれのヘルパーさんとは週に1度会うか会わないかの頻度だから、関係づくりには時間がかかると予測する。

・ヘルパーさんは仕事として現場に来ていて、家でくつろぐモードとの調和をどうつくっていけるのかが個人的な課題。

・一方で、ヘルパーさんもシェアハウスを現場とすることはそうそうないだろうからきっとやりにくいのかな、とあまり干渉しないようにぼくも振舞ってしまうし、ヘルパーさんによってはぼくよりもうまくシェアハウス感を醸し出してくださる方もいる。例えば、スーパーで安く新鮮な魚をさばいて振舞ってくれたり。

・ヘルパーさんの居場所はどこがよいのか。空き部屋?リビング?個人的にはリビングは共有スペースなので、寝ちゃったことはあっても寝るための場所として捉えられない。夜型も相まってヘルパーさん二人ほどには、できたら空き部屋を使ってほしいと唯一希望を伝えた。そのとおりにはならなくても伝えられてすこし気が楽になった。

・複数の生活リズムがいかに共存できるか。

・好きなときにレッツに見学できるメリット。三階のベランダで喫煙していたら、下で半ストリートライブが観られたその光景は美しかった。

・最初の頃は、ヘルパーさんによってはキッチンには安全面からあまり入らないように配慮することがあった。その家に住む人が立ち入りにくい・れない場所があることへの違和感があったが、2ヶ月も経つころそれは時間や経験から自然に解消した模様。

・ヘルパーという仕事上、ずっと見守る、ということが身体化しやすいのかもしれないが、果たして見守るとはどういうことか。それだけの視線を注がれてきたたけしくん(たち)はもうそれが当たり前なのかもしれないし、必然性もあるのだろう。危険のない家というのがあるのかわからないが、面白みとか居心地が減る、それは他に住む人にとっても。危険を排除するあまりそこへ影響することがあるのだろうか。

・誰が大家さんで、管理人さんか。これも時間と議論とともに一旦の落ち着く場所ができた様子。翠さんはこの事業を行う法人の理事長であり、最初の住人たけしくんのお母さん。途中段階では、両者の立場が混ざりあった発言は、受け手として混乱したが、翠さんは一人の存在なわけで混ざってしまうのは仕方がない。そこに面白みがあるとも言える。「親亡き後」をぶっつぶす今回の取り組みだけれども、現にお母さんは今いて、ヘルパーさんを雇う(?)のはぼくではないし、たけしくんのこれまでのケアを引き継ぐ役割の中心であるのだろうし、だけどこれからのケアを考えるときに他の住人がゆるやかに間接的にでも関われる状況はよいのかもしれない。この事業としても、管理人はレッツのスタッフである高林くんユーイチくん。今は翠さんは管理的なところは彼らに基本的には任せるということになった(最初のうちはどちらからもあえて手を離していたが、段々とお母さん的な立場やそれに付随するように管理人的な部分が見えてきた。2ヶ月を過ぎたごく最近、お母さんとしてのみ三階に関わるということに。ヘルパーさんとのコミュニケーションを主に担われる。これについては翠さんが書かれると思われます)そして、住人はヘルパーさんの監視役なんかではなく、フラットな関係者で気づきあう仲間?家を愛したいし、暮らしをご機嫌にやりたい。

・同居の航也くん、ここにいるときはレッツでも働きながらだった(今も)。ぼくよりすこし前に住みはじめた彼は、まだこの環境に慣れないヘルパーさんたちから生活用品の位置やその日のたけしくんの様子や他のヘルパーさんたちがどのように接しているかという引き継ぎ的なことなどをがんがん尋ねられている様子で、それはよりよきケアを考えるときには決して悪いことではないが、めちゃくちゃ大変そうな役回りになっているなと思った。つまり、休めない。住人の役割なのだろうか?ぼくはより住人然としようとするきっかけになった機会だった。

・シェアハウスで障害のある人たちが住むことの良さと考えるのは、それぞれのヘルパーさんや繋がりのなかった家族同士、ほかの住人と出会えることかなと。今はまだ実験段階だから、レッツを利用する方々が住んだり試したりしている。それでも、それぞれのヘルパーさんは他社同士だったりするわけで、意見や刺激を交換できる場にもなりうるのだと。そういう意味でも、ぼくという住人にとってもふだん知り合えない人とのやりとりが生まれている。だいたいぼくは何してるひとかわからなくて最初は戸惑われてるんだろうなと察することは多かったけれど、ヘルパーさんと文化的な話で盛り上がったりすることが何度かあったり、いてくれるだけで刺激になってます。

・そういえば、住んでから急にできることようになったことは、レシピ通りではなくてもありあわせの食材で勘を頼りに調理できるようになったこと。これによって、次の料理に繋がるようになった。あと、ジョギングを再開、坂道が多くて夜中は人がいなくてよい。そういえば、連尺町周辺は金曜より土曜の夜が賑やかで騒がしい。それは土曜まで働く人が多いということか。