人前で何かすることが苦手な私は歌も下手です。特に学校で習う音楽は苦手と言うより嫌いでした。なぜならクラシック音楽が一番高尚で、その他の歌は下品と決められていたと思うからです。だから学校で聞くのはクラシックか唱歌だけでした。歌わされるのは唱歌ですが、古い文体が多くて意味も分からず強制的に歌わされるという感じで面白くありませんでした。また自分の感覚と違う歌詞には戸惑いました。例えば「船頭さん」の歌詞で渡しと言われても何か分かりませんでした。近くには大きな川がないので、渡し船は見たことがありません。しかし、「渡し船」なら分かったと思います。船頭さんは分かっていたので「私の船頭さん」と勘違いして、自分の家専属の船頭さんだと思い、金持ちの家の歌だと考えていました。そして歌うことの恥ずかしさと面白くなさは皆感じていたようで授業は騒がしくてよく女性教員に怒られたり、時には先生が泣き出したりしても、「なんでぇ~」と言った気持ちでした。今から思っても先生に申し訳なかったという気持ちよりも歌の内容や情景を説明してくれていたらもう少し楽しめたり、授業もスムーズに進められたのではないかと思う気持ちの方が強いです。他の授業の時にはよくお話を聞かせていただいたのですが、その時は子どもたちは黙って聞いていたはずですから。

 私の趣味はオーディオで60年以上続けていますし、今ではカラオケもやってますので、歌が嫌いではないと思っています。むしろ音楽教育がおかしかったと思っています。子どもの頃大人が酒を飲んでいるときによく民謡なんかを歌っていました。けっこう上手だったように思います。感情が響いたのだと思います。しかし、音楽教育が進んで、高尚な歌を押しつけられて、自分の感情に合わず歌うことが嫌になり、何かで失敗したときの罰として酒宴の席で歌わされるようになったのだと思っています。しかし、学校を離れると心の歌はあり、ラジオから流れる歌謡曲が流行ました。のんびりした時代だったせいでしょうか、ヒット曲の賞味期限が長く同じ曲が何年もラジオから流れてくるので、その気が無くても歌詞を覚えてしまいます。中学生の時、友だちにある曲の歌詞を書いてくれと言われ、紙切れに書いて渡したところ1週間過ぎた頃職員室に呼び出されました。「おまえが書いて渡したんか」と紙切れを見せられたのです。「そうです」と答えると「教えるんなら勉強を教えろ」と叱られました。「何がいかんの」と言いたいのを我慢して職員室を後にした記憶があります。

 しかし歌謡曲は大人の歌だったと思うのですが、成長するにつれ何か違うと感じる部分が多くなりました。外国のポップスも聞くようになったことも一因だと思います。そのうち和製のフォークソングが出始めたとき、これが私の心を写す歌だと感じました。しかし歌謡曲になれた私が歌うと演歌調になってしまい、若い人によく笑われました。そんな若い人たちは学校でフォークソングやポップスも歌っていたと聞き、時代は少し変わってきたんだと感じました。私も学校でそんな曲を歌えていたらもう少し楽しく上手に歌えていたかも知れないと感じます。そして、今でも歌うのは演歌です。

 妻は歌が好きで若い頃から合唱サークルに入っていて、音楽教育で習うような歌ばかり歌っていました。そして私が聞く曲を「音楽じゃない」とまでけなされました。そして歌ったりすると「下手!!」と切り捨てられ「自分が歌えるところだけ大声でがなっているだけ」と、手厳しいです。しかし、いつの間にか妻の一番得意な歌が演歌になっていました。美空ひばりが大好きでよく歌います。悔しいけれど私は足下にも及びません。いま、少しずつボイトレ(voice training)やうまく歌えるようになる方法に関する本を読んでいて、いつか妻をびっくりさせたいと思っています。それは無理だろうなと思いながら良い暇つぶしにはなるなと感じています。

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