久しぶりに人前でお話させていただきました

 コロナ禍の前には、ある天神さんのお祭でお話しさせていただいていたのですが、2年間中止の後お祭自体が廃止になってしまいました。この2年間も話の原稿を作り続けていたので無駄になったなと思っていました。ちょっとしたきっかけで別のところでお話ができることになりました。内容は準備していたものとは違いますが、そのうちこの内容についてもお話しさせていただければと思っています。
 あるお寺の本堂で約20名の皆さんが参加をしていただけました。今回の内容は「常識を疑おう」と題して生物・物理・医学に関することで、当たり前と思っていることが実は嘘ですよということについてです。本当のところは生活そのものの中で、普段当たり前と思っている行動を見直しませんかと言いたかったのですが、少しトーンを落としました。

 詳しい内容は                           生物については                                                                                              ・日米で活躍した上原投手がよく言っていた言葉の「雑草魂」が流行っていた頃です。教員(特に小学校教員)が、その頃児童・生徒に言っていた「雑草のようにたくましく」は、生物学者によってすぐ否定されました。雑草は弱いのです。発芽したときに踏まれるとすぐ枯れてしまいます。だから雑草は非常に多くの種を作ります。殆ど踏まれたり、悪環境で枯れてしまいますが、一部が成長します。それは鰯の大群が他の魚の餌になりながらも生き残るのと同じです。個の成長が大事なのが教育なのに種が残るのを見てたくましいと言ってはいけないのです。                                  ・蛇に睨まれた蛙も嘘です。状況的にはよく分かります。蛇が近くにいるのに逃げない蛙をみて、「速く逃げな食われるで、何で逃げんの」と言いたいのは分かりますが、蛙も蛇も相手を目で認識できません。目が人間のように良くないからです。我々には磨りガラスの向こうにある物を見ているというのが近いかなと思います。だから蛇は蛙の匂いを感じると、ゆっくり近づきます。かなり近づいたと感じた蛇は急に音を立てて動きます。その音にびっくりした蛙は逃げ始めますが、その動く物体を蛇は追いかけるのです。これは目が悪くてもできます。                              ・平和の象徴となっている鳩の喧嘩と猛獣ライオンの喧嘩。平和の象徴を鳩とした人は鳩の喧嘩を見たことがあるのだろうかという生物学者はいます。一方が力尽きぐったりしているのに他方はなおも相手を長時間攻撃し続けます。一方ライオンの喧嘩は5分前後です。人間以外の動物は皮膚に汗腺を持たないので戦いにより出た熱を発散できずに体温が上昇しすぎて、続けられないのです。その間は牙と爪で血を流し吠えながら戦いますが、負けたと感じた方が相手にさっと一番の弱点である腹を見せます。すると喧嘩はすぐ収まりそれ以上攻撃はしません。確かに鳩はあまり喧嘩をしません。だからストレスが極限に高まった状態での喧嘩ですから収まりが付かないのだと思います。しかし、ライオンは言わば三食昼寝付きへの就職試験です。これに勝てば雌ライオン付きのハーレムの王者になれるのです。雌ライオンが餌をとってきてくれますので真っ先に食べて寝ていれば良いのです。次の挑戦者が現れて負けるまで続きます。だから命をかけるほどの物ではなく負けたら次を探せば良いのです。                        物理については                                        ・テレビ等の時代劇に出てくるチャンバラは間違い。先ずおかしいのはハイライトのチャンバラシーンで悪党たちは何故1人づつ切られに行くのか。一斉にかかれよと言いたいのです。また大上段から振り下ろした刀を刀で受けることは絶対にしてはいけません。刀が互いに食い込んで使い物にならなくなるし、受けた方は頭もしくは肩まで押し下げられて重傷を負います。                            ・電気あんかやモーターの消費電力について。電気あんかは布団の外に出すと冷たくなっていますが、この時が一番消費電力は大きい。モーターは最高速度で回転しているときが最も小さく、止まったときの電力は最高になる。モーターとエンジンの違いは回転が低いときはモーターが・高回転になるとエンジンが力強いので、ハイブリッド車は理にかなっています。                ・飛行機で複数のエンジンが付いている場合、飛行中に何個のエンジンが故障すると墜落しますか。例えば4個の場合1個のエンジンの故障で墜落するとしたら、1個しかない飛行機より墜落するリスクが4倍になります。そんな設計をしてはいけないのです。だから飛行中は1個のエンジンだけが動く状態ならば速度は遅くなるし操縦は難しくなりますが飛行可能に設計することにより、墜落のリスクを四分の一にできるのです。                            医学については                                     ・我々の体は脳と本能と呼ばれる物からできています。生まれたときは脳は単なる大飯食らいのでくの坊です。呼吸や吸啜(おっぱいを飲む)は本能で、我々の体を守っています。大きくなるに従い脳が体の支配を始めます。特に3~4才の頃、子どもは非常に動き回りますが、脳が筋肉を自由にコントロールするための訓練中なのです。そして脳が完全に体を支配したと考えがちですが、生命の維持・継続という一番根本の部分は支配仕切れていません。例えば風邪を引いたとよく言いますが、風邪という病気はありません。特に寒くなったときに体外から異物が入ってきたとき腸を中心とした器官が体を守る行動に出ます。洟を出す・咳やくしゃみをさせて体温を上昇させるのは体を守る行動です。洟を出すのは鼻の粘膜についているであろう異物を洗い流すためです。咳やくしゃみは肺近くまで入ったであろう異物を吹き飛ばすためです。それでも体内に残っている異物とは戦わなければなりません。免疫細胞はここから働き始めるのですが、異物は殆ど熱に弱いのです。そして免疫細胞は38度くらいで活動が最も活発になります。だから体温を上げているのです。風邪薬には殺菌剤は入っていません。どんな菌が入ってくるのか分からないので入れられないのです。鼻水を止める・咳やくしゃみを止める・体温を下げる効果しかありません。体から見ると入ってきた異物を体外に流し出さない上に熱を下げることにより異物への熱攻撃を弱めるし免疫細胞の働きを弱めるのです。脳がかっこ悪い・仕事ができないと薬を飲むのは体防衛隊にとってはブラック企業化することなのです。ここで異物という言い方をしたのは細菌・ウィルスのことですが、ウィルスは生物ではないからです。                                ・食中毒による嘔吐・下痢についても同様です。体内に細菌が入って消化器官で増殖したときは体は体内の水分をここに集め、消化器官を水洗便所にして、上と下に洗い流します。この状態を嘔吐・下痢と言っていますが、体を守る活動です。もし救急車等で病院に行っても口から胃にパイプを入れて水分を注入して上下に吐き出させます。処置としては胃洗浄と呼んでいますが、人工的な嘔吐・下痢です。数年前に小学生が下痢をしていると保護者が医院に行くと下痢止めを処方され飲むと下痢は止まったのですが、一緒に細菌も体内に残るため死亡したことがありました。医院に行かずに家で寝ていれば半日も経たない内に走り回っていたと思われるのにと残念です。ただ、水分も一緒に大量になくなりますので、この補給は非常に大事です。そしてこんな医者は殺人罪で逮捕して医師免許を取り上げるべきだと思います。ただ、日本人医師で最も多くの人を殺したのは森鴎外(森林太郎)だと思います。彼は東大医学部を卒業した後軍医となり、当時医学の最先進国であるドイツに留学します。その頃の医学の主流は細菌学でした。彼はそれを学んで帰国します。その頃の日本は国民皆兵政策で軍隊に入ると、家でいると殆ど食べられない銀シャリ(白米のご飯)が毎日食べられると大好評でした。しかし、しばらくすると奇妙な病気が流行り始めました。脚気です。30万人ほどいた陸軍隊員のほぼ全員がかかっていたと言われます。その行進を見た外国人記者は酒を飲んで行進していると書いています。今ではビタミンB不足で起こる病気と分かっていますが、ビタミンすら分かっていなかったときですから、原因について細菌説と栄養素説に分かれて論争が起こります。米ぬかを発酵させた物を飲ませたり、麦飯にすると病気が治ったという報告もあるのに鴎外は細菌説に固執して、権力を利用して栄養素説を唱える学者を攻撃します。日露戦争で陸軍は3万数千人の死者を出しますが、戦闘による死者は1万数千人で残りが脚気で死んだと試算する人もいます。原因が分からないので、細菌説を採ることに異論はないのですが、直す方法があるのにフェイクニュースとして採用しなかったことは彼の責任だと言わざるをえません。ただ軍人の親たちも「我が子はお国のために戦っているのだから、麦飯よりもお米を食べさせてやって下さい」と言っていたようです。ただし海軍隊員には脚気の患者はいませんでした。「海軍カレー」のおかげです。                    ・医学の進歩について。今は死語になりつつありますが、一姫二太郎と言う言葉があります。一般には子どもは娘1人に息子二人がいいと解釈されていますが、別の解釈もあります。最初は女の子を生み、二番目に男を産めというものです。どちらにしても共通するのは男の赤ん坊の方が弱くて死亡しやすいと言うことです。最初の解釈は男は死にやすいのでスペアとしてもう一人産めと言うことですし、後の解釈では新米の両親は最初に丈夫な女の子で子育てを練習しなさいと言うことです。そして我々の本能は種を守るために男女の出生数を変えて、5パーセント位男児の出生数を多くして、成人後の男女数を同じになるようにしています。人類は誕生の頃から他の動物と違い一夫一婦制となっていたからです。ところが医学の進歩と経済的に豊かになったことにより乳幼児、特に男児の死亡が激減します。すると男性の成人数が女性を上回ることになります。都会ではわかりにくいと思いますが私の住む山間の地区では、6~70代の未婚男性が目立つのです。その年代の未婚の女性はいません。離婚して帰ってきてもすぐ再婚していなくなります。もちろん理由は一つでは無いと思われますが、根底に人数の差があることは否定できないでしょう。

 このような話を約1時間半おしゃべりさせていただきました。高齢の男性が殆どでしたが、居眠りしている人はいなかったと思います。人の話を聞くスタイルのこのような会では、居眠りしている人をかなり見かけるのですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?