おりょうはん

 この題名は全ての人が分からないと思います。私の住む自治会の中のさらに小さな地区にある水神さんのことを、こう呼んでいます。龍王神社が正式名称ですが、龍王さん・・・→おりょうはんになったと思われます。私より年長の人は「りょうはん」と読んでいます。そして、おりょうはんとりょうはんではイントネーションも違うのです。
 7月10日にそのお祭がありました。と言っても戸数20軒に満たない地区なのですが、町内にある神社の宮司さんに来ていただき神事をしました。いつから始まったのか分からないくらい前から続いています。謂われは古く南北朝時代に後亀山天皇が阿波国から別所某というお供1人だけを連れて神社に来られました。どのくらい滞在されたかは分かりませんが、阿波に向かって帰られるときにお供の別所某は神社の近くに残り天皇1人で帰られたそうです。今なら大変なことになったと思います。右翼の街宣車が走り回って、この人を責め立てていたのではないでしょうか。テレビにも取り上げられ、文化人といった人も「無責任ですね。最低阿波までお供をして、そこで止めさせて下さいと言うべき」とコメントしていたのではないでしょうか。昔はこれで済んでいたのですね。むしろ、天皇を神格化して警護が大げさというか仰々しくなったのは明治以降だと思われます。戦後人間天皇を宣言された後も、この状態は続いています。
 例えば、私が大学に入学したのは1964年です。東京オリンピックがありましたから、新幹線は開通していました。しかし、学生が乗るには贅沢だと思い、急行で往復していました。東京大阪間を7~8時間かけて走っていましたが、エアコンも付いていない上にものすごい混雑で席に座れなくて、立ち続けということもかなりありました。特に夏はひどく扇風機が数台天井に付いていましたが、全然涼しくはありませんでした。ですから、席に座れればラッキーですが、最高のラッキーは列車の進行方向の窓側の席に座ることでした。窓を開けると外から風が吹き込むからです。五月の連休か夏休み明けだったと思いますが、東京行きの急行に乗るために大阪駅のホームに行きました。その日はホームに警察官がうようよといました。何があるのかなと思いましたが、列車に乗り込むと超ラッキーなことに進行方向の窓側の席を確保でき、ほっとしていると車内にも警察官がうろうろしているのです。しかし大して気にもせずに座席に身を任せてしばらく走っていると車内放送があり、「進行方向に向かって右側の窓は全て閉めて下さい」と言われました。この暑いのに何で閉めなあかんのやと思いましたが、前に座った人がさっさと窓を閉めてしまいました。そして、その後警察官が窓が閉まっていることを確認しに回ってきました。しばらくその状態でいると隣の線路を列車が対向して通り過ぎていきました。そうするとまた車内放送で窓を開けても良いですよとなりました。すると車内から、今通り過ぎたのはお召し列車だったとあちこちから聞こえてきました。通り過ぎる駅のホームを見ると、いつもなら必ず何人かの列車待ちの人がいるのに、誰もいない駅がかなり続きました。多分ホームには行かせてくれなかったのだと思います。ホームにあげていて石でも投げるまねをしただけで駅長、もしかして警察署長の首が飛ぶんやろなと思ったものです。
 さて、話を元に戻します。神社と私のいる自治会は隣り合わせで、別所某という人は神社近くに住んだとなっていて、私の自治会の神社に一番近いところの小地区名は別所地区となっています。そして別所某の現代の子孫は私の同級生です。そして、讃岐の民話西讃編によると昔このあたりに雨が降らず大飢饉になったときがありました。その時この別所某の子孫二人の夢の中に、前を流れる川の上流にある鰻淵を掘れと言われたのです。早速二人がそこに行き掘ってみると鰻が出てきて、たちまち龍となり天に昇り大雨が降り、近隣の人たちが救われたと言うことです。その鰻淵はかなりやまのなかですが、私が住む小地区が一番近いのです。そこに龍王神社という水神さんをお祀りしました。そして、年に1回神事をしています。その様子を知り合いのオリーブ通信員をしている人に取材して戴き、ウェブ上に掲載してくれました。スマホ・パソコンでオリーブ通信 四国新聞社と検索するとすぐ読めます。

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