『財津和夫 人生はひとつ、でも一度じゃない』を読んで

 久しぶりにnote書こうかと思ったらなかなか何から書き始めるのかわからない。

 昨日川上雄三著『財津和夫 人生はひとつ、でも一度じゃない』を読んで感銘を受けて久しぶり真面目に丁寧に思ったことを書いておこうと思ったのだけど意外とごちゃごちゃのまま整理できない。でも書き始めないとそこに向き合うことから離れてしまうので書き始めた。

 本の感想書くときはあらすじというか概要書いてから語り始めないといけなかったのを思い出す。
 この本は、NHKのドキュメンタリー番組で2022年に50周年を迎えるロックバンド「チューリップ」の財津和夫さんに2018年~2021年まで密着し放映された模様をルポタージュ本にした内容。加齢による体力、歌唱力、容姿の変化、ガンとの闘病の思い出、コロナ禍の活動が難しい状況に財津さんが向き合いそこを乗り越えたところで久しぶりに曲を作り人の前で歌いたいというところまでもがき続ける様子を描いている。

 ぼくと財津さんの距離。母が若かりし頃チューリップのファンクラブに入っていたというのもあり母の鼻歌から知った。ぼくが中学生のときギター弾き始めたとき母から学生時代に使ってたピックもらって一枚チューリップのロゴはいったやつがあったな。姫野さんの名前が入ってたので母は姫野さん好きだったんだなって思ってたんだけど、後年聞いたら財津さんが好きで財津さんのが欲しかったんだけどなかったからって言っていた。確実にぼくの音楽の好みのルーツにチューリップはあるんだろう。

 そういえばこの本の著者は僕と同年代で両親がファンだということで距離感も似ていた。

 母から聞く当時の伝聞やバンドのメンバーの入れ替わりを見ると、財津さんが若いころ性格良かったはずなく(良かったらごめんなさい)。それが今、本を開いてみたら礼儀正しく優しい気遣いのできる人として現れて。斜に構えず自分が今どんなところにあるかきちんと取材に説明してくれる。もちろん取材の側の財津さんへのリスペクトありきではあるけれど。

 本全体としてはチューリップの作詞家としての側面から財津さんが主に描かれていく。過去の時代の作詞への考え方、がん闘病後に始めた一般の方向けの作詞教室の様子、そこでインスピレーションを受けて久々の新曲を初めての詞先で書くことになるが再びコロナ禍という試練があり。
 詞は音楽になるものなので音楽になる詞を曲がない状態で書くことの難しさというのを1年以上1曲の作詞に向き合い続け悩み続ける財津さんの様子からいやでも感じさせられる。そして「人生はひとつ でも一度じゃない」という曲を書き上げてコロナ禍で新たな取り組みとして始めたオンラインライブで披露する。もうベストな歌唱はできないのを受け入れつつそこで歌い続けるモチベーションの燃料を新たな挑戦をし続けることによって手に入れていく様に涙しながら読んだ。

 チューリップの幻のデビュー曲「私の小さな人生」で「できることなら死んでいくその時まで歌を歌って生きてゆきたい」と歌っていたそのままを、生きていくことの現実にちゃんと向き合いさらに実像をつけつつ本物にしていくというか、そうなっていくという苦しさ喜び美しさを噛みしめて歌って聞く側も噛みしめて聴いていくのですね。
 昨年、母が原因不明の体調不良で長期入院して半分パニックぐらいの日々を過ごしている中、差し入れで頼まれて病院に持って行ったCDの中に「私の小さな人生」が入っているアルバムもあって、「私の小さな人生」をひたすら聞いていた。明るい曲ではないけど確実に生きるという現実のエネルギーのある曲だったんだろう。母が退院したら今度はエレキギター弾いてみたい、ソロコピーしたいっていってて、じゃあ自分が耳コピして教えてあげるって約束したけど退院したらどうでもよくなったぽい。いいことですね。

 人生において大切なことはシンプルでそれをちゃんと大切にできるかどうかが大事なのだろうというのが最近よく思う所なのです。大切なことはそう多くは持てない気がするのです。歳を重ねるたびにそれがなんとなくですが見えてきて人生がシンプルになっていくのが気持ち良く感じます。ちゃんと人生の終わりに向かって歩んでいきたいですね。財津さんや自分の両親など生き方の手本になる人たちが先にいるのがありがたい。

 チューリップ50周年ライブ見に行きたいな。東京はチケット売り切れてた。

 ごちゃごちゃだけど一生懸命2日がかりで書いた。文末のゆらぎとかその書いた時間によって違うけど直したら文章の内容まで全部直しになるのでそのままにしました。


 

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