朝井リョウ「武道館」とその周辺を読んでの感想

最近朝井リョウ「武道館」、そしてそれに関連して雑誌ダ・ヴィンチ6月号の朝井リョウ特集、夢眠ねむさんによるネットに掲載された書評(http://hon.bunshun.jp/articles/-/3616)を拝読しました。そこで、考えたことをまとまっていないながらも、アイドルファンの端くれとして現段階の記録として書いておこうと思います。

ちなみに、ネタバレなしで書くのは私の技量では難しいので、ネタバレ込みです。とりあえず、読もうかと思っている方はどうぞ先に読んでください。

自分がまとめたあらすじは次のような感じです。読み取れていなくて大事なところが抜けているかもしれませんが。

「武道館」のあらすじ

女子高生の愛子は、家庭は父子家庭でアイドルに幼少期よりあこがれて育ちアイドルグループの一員となる。そして、アイドルグループのメンバーとして武道館を目指していく。そして、メンバーの卒業、水着グラビアへの挑戦、ネットでの叩き、ダイエット、メンバーの恋愛スキャンダルなどの壁に向き合うことに。そして、自身の幼馴染の男性への恋心。彼女はどんな選択をし、どんな結果を受け入れなければならないのか。

「武道館」を読んで

前半部は、アイドルグループが直面しがちな問題が次々ととりあげられていきます。そして、そのエピソードが実話を元にしている話が主で、その結果元の話を知っている私にとってはかなりのノイズになりました。アイドルを好きな私にとって、一つ一つのエピソードに対してそのたびじっくり考えたり、エピソード毎に直面したアイドルも違って個々の人格や関係性なども考えて頭のなかで整理してきたことが一つのストーリーの中で扱われていくのは混乱しました。週刊誌の記事を切り抜いてきてコラージュ作品にしたような感じです。

でも、ダ・ヴィンチの乃木坂46の読書会対談では、アイドル側としてアイドルあるある的なこういったエピソードを書いてくれたことは高評価だったようで、アイドルを知らない一般層がアイドルに起こることを表面でも知っていくことには寄与するのかもしれません。

このアイドルが直面しがちな問題をとりあげる中に、私が個人的に書いてくれてうれしかったことが一点あります。それは、アイドルがスルースキルを身に着けていく段階で、怒りという感情をなくしてしまうのではないだろうかと悩むところです。

実は、これは私がアイドルファンとして数年前にアイドルを見始めた時にはアイドルが理不尽なことに囲まれすぎていてそのたびに怒りを感じていたのですが、今では怒りという感情が不毛なことを受け入れ始め、怒るよりも悲しむことのほうが増えました。でも、怒ることの人間らしさを失う感覚に寂しさを感じたりもしていたので、その感覚を書いてくれる人がいたのはうれしかったです。

後半部は、武道館が実現が迫ってくる中で、幼馴染の男性への恋心にも気持ちが引っ張られる様子が描かれていきます。

結局、男性と結ばれることを主人公は選びます。

この「選択」までの話は個人的にとても納得いく話で、そうだそうだと同意しながら読みました。アイドルとしての求められる理想形があるとしても、人間としての「選択」の自由は誰にでもあるはずという自分の考えとかなり重なる話の進み方でした。

もちろん、アイドルとしての人気は現実問題下がるでしょうし、商業的に人気が下がった結果として事務所が面倒を見れなくなって解雇ということもあるでしょうし、恋愛禁止的なものをグループとして共有して人気を得たいというもとでメンバーが集まっているグループならばグループをやめなければならないこともあるでしょう。

それでも、人間として恋愛をとったり、自分の人生として他を優先した選択をすることは尊重されるべきで、人間として責められるべきことでは無いと思うのです。

ここで、彼女が彼を選ぶという「選択」をしたところで、個人的にはこの本のクライマックスを感じました。「選択」をすることがアイドル、そして人としての権利であってそれは守られなければならないということで。この点をがっつり描いた点で、この本は私のなかではかなりいい話と位置付けられました。

ダ・ヴィンチで乃木坂46の深川さんがこの話を「選択」の話と読み取っていましたが、私もまったく同じように感じました。

しかし、朝井リョウさんはその後それよりももっと甘々な結論のエピローグへ進むのです。

ダ・ヴィンチの朝井リョウさんのインタビューによるとドリームモーニング娘。(モーニング娘。OG同窓会グループ)を念頭に置いたという恋愛OKで既婚子持ちのアイドルグループが武道館を成功させてそこに愛子が立っているという未来の景色をエピローグに持ってきます。そして、この結論ありきでこの小説を書き始めたそうです。

このエピローグにはずっこけました。なぜなら、今までこの小説で一番のストーリーの上での重みになっていた「選択」することの悩みから全て解き放たれ一生懸命考えてきたことを放り投げて、元々悩んだりしなくてよかったのではないかと思わせるような結末だったので。

ドリームモーニング娘。はモーニング娘。を経由しないでは現実としては存在できなかったのに彼の妄想のなかではそれが成立する世界があって、そこに急に連れて行かれるわけです。これは、今まで物語に付き合ってきた読者に不誠実なのではないかなと思いました。

結論としては、アイドルにファンは恋愛的な感情持ち込むなという風に進んでいきます。これは、石田衣良さんが朝井リョウさん含めた鼎談で、アイドルに貞潔さを求める中年童貞たちは気持ち悪いというあたりの話に集約されるでしょう。現実問題ではそのマインドを持った人たちに支えられないと初期段階ではアイドルグループはやっていけないですし、ビジネスとしてもアイドルへの恋心を狙い撃ちした売り出し方をする方への追及はないのでしょうか。

ずるいと思ったところ

この話でずるいと思ったところは他にもあって、主人公が惹かれる相手が真面目でしっかりした幼馴染の同級生で剣道部の男性というところです。

余談ですが、乃木坂46の高山さんが彼について剣道部所属という観点からコメント述べているのが面白いので、是非ダ・ヴィンチを読んでみてください。

実はこんな地に足付いたしっかりとした相手と恋愛していたら、ファンも大してそんなに怒らないと思うのです。これは、朝井リョウさんがアイドルファンとしてアイドルにそういうものをもとめているようにも感じられて、恋愛禁止を求めるファンと紙一重なストーリーではないかと感じました。

現に、ダ・ヴィンチで朝井リョウさんが高橋みなみさんとの対談の中で、悪い男に引っかからないでほしい旨発言されています。アイドルが人間として選択することの自由を訴えたいのであれば、悪い男に引っかかるという選択をする自由もあるはずだと私は考えています。

実際は、アイドルがスキャンダルになるときはピンチケ(チャラチャラしたアイドルファンの若者)、業界人などとのほうが多いのではないでしょうか。場合によっては堅気ではない方を選ぶ方も。

人間には愚かな選択をする自由すら存在すると思うのです。

アイドルの幸せなんて知らない

朝井リョウさんはアイドルの幸福を彼の妄想の中で繰り広げて、正義の味方になって小説の中で飛び回ります。

じゃあ、アイドルの幸福ってなんでしょう。

結局は、人間としての幸福ということを考えなければならないことになります。じゃあ、私は人間の幸福とは何かということがわかっているのかというと、未だに分からないわけです。

そういう意味で、夢眠ねむさんの書評を読んだとき彼女の真摯さに感銘を受けました。彼女自身が人間でありアイドルである立場で、人の妄想ではなく自分でその結論を作り出したいと、この小説を読んでなお書ける真摯さ。

所詮、つんくさんが帯に書いたように、この話は朝井リョウさんの妄想なのです。でも、その妄想の元になる世界で現実に生きているアイドルがたくさんいて、そこに思いを寄せるファンがいて、やじ馬になる人たちがいて。みんな「選択」の自由を持つべき人間です。

結局、私はアイドルファンとしてアイドルは他人であることを受け入れつつ彼女たちが望む幸せを知らないことも受け入れつつ、それでも思い入れを持ちながらこれからも見ていくしかないのでしょう。

この本のタイトルになっている「武道館」にたどり着くことが幸福なのかすら分からないのです。

アイドルの幸せなんて知らない!けど、幸せになってください!

おまけ

アイドルの雇用契約や労働条件とかも大変そうなので、アイドルが労働組合作って芸能事務所と団体交渉するようなプロレタリア文学とかどなたか書いてみるのはいかがでしょうか。



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