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正常と異常の境目

正常と異常の境目は実は曖昧だ。

異常の中にいる人は、その人の中では、妄想こそが、現実であり、正常な出来事であったりする。

妄想か否かの判別は、事実関係があるかでするしかない。

よくあるのが盗聴をされている、盗撮をされている、街で人が自分を見て笑っている、毒を盛られているといった内容の話だ。

これらの話の根拠は多くの場合確認できない。

関係のないこと、自分に関係づけ、自分が被害者であるという結論に結びつける。話を、微細に突き詰めていくと、妄想であることがわかる。

ある種の妄想である陰謀論が蔓延る世の中では、何が正常であり、異常であるかが、社会的にわかりにくくなっている。

正常から異常への越境は、インターネット社会では、スムーズに行われる。

根拠のない話が、多数派の賛成により拡散し、多くの人が言っているからという間違った論証にも関わらず、真実として浸透していく。

高度消費社会では、些細な差異化が進化論のように捉えられ、アイフォンの色に個性を見出す。その個性は本質的ではないが故に、アイデンティクライシスに陥りやすく、常に不安に苛まれる。

陰謀論は、その隙間に入り込んでくる。

陰謀論は、その人を正常からハメルーンの笛吹のごとく、異常な世界に落とし込み、不安を癒すことなく、仮想敵を常に設け結合を促し、不安を拡大し、場合によっては、終末論に導いていく。

陰謀論は、刺激があり、中毒的だ。

人は、消費社会、誹謗中傷、陰謀論に中毒性を見出しやすい。

狂気は、人に特殊なスキームをもたらし、多様な情報の入手さえも困難とし、地獄の黙示録となっていかざるを得ない。

それに抗うには、事実関係を確認し、身体感覚を維持し、様々なものに平衡感覚を持ち、物質による差異に個性を依存しないことだ。






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