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唯ぼんやりとした不安

恥ずかしいながら、流行りのコロナに罹ってしまいまして、おかげさまで体調の方は少し改善したのではありますが、今日いっぱいまで外出できず、またなんかテレビも見る気が起きない、そんな気分でして、久しぶりに何か書いてみよう、そんな気分です。

物騒なタイトルをつけてしまいましたが、芥川が感じていたようなそんな重い憂いのあるほどのものは感じておらず、唯どうしようもできない暇というものは思ったよりも喜ばしいものではないんだな、という程度です。

この半年、個人的には、やりたい仕事の部署に唐突に配属されて、とりあえず前線にぶち込まれたり、結構頑張った資格試験に落っこちてみたり、一人暮らしで初めて大病に罹ってみたり、と意外とせわしなく過ごしてしまいました。

男性は大体この社会人になったタイミングくらいで等しく厄年を迎えることとなりますが、そりゃ基本的に大卒はこのタイミングで生き方が大きく変わるのですから、厄年になるのは当たり前です。身体的な性徴が変わるタイミングを過去の経験則的に厄年としているのでしょうから、先人の知恵というものは素晴らしいものですね。

この流行り病に心を蝕まれる間に、特段体調は悪く床に伏しているが、頭はなんとなく動くからいらない思考ばかりを重ねている時期がありました。(この時間も仕事していた扱いなんてことは口が裂けても言えないですが)

幸い友人にも、趣味にも、仕事のモティベーションにも恵まれているような気がして、平日も休日も忙しく過ごしています。学生時代から基本毎日予定がない方が不安に感じてしまうたちでしたので、もし友人も、趣味も、仕事も、あまりやる気がなかったらどうしてたのだろうな、と考えていました。また、それを以後失う可能性がゼロでもないことも。
加えて、体の体調が悪いと、心の体調も崩しますから、これからどうしようかな、自分のスケジュール通りに人生を進めることができるだろうか、そんな唯ぼんやりとした不安を感じたわけであります。

どうもそんなことを芥川にいったら、君は贅沢ではないかね?みたいなことを言われてしまう気もしますが、まあ自分には大事なことですので。
これは体の体調が戻るにつれて別に気にならないことに、些細なことに、なってしまうものです。

このように、心と体のバランスをうまく整えてやること、それが社会人になって一番難しく、一番大切に思います。

体のバランスはやはり健康なのでしょうか。恥ずかしいながら一人暮らしを始めて自分は太った珍しい側のタイプです。それは、米を食べ過ぎたからに過ぎないのですが。ヤバイヤバイといってジムに通い始めました。

心のバランス、これが全く気を使わなくてよい時と、気を配るべき時があってなかなかイージーではありません。どこかの本で読みましたが、仕事と関係ない人に週1回くらいは会って、何か話をする、そんな時間を意識的に保つように心がけています。久しぶりに会う、そんな時間を楽しめる歳にもなりました。

先日、たまたまお誘いいただき美術館に足を運び西洋美術に触れる機会がありました。もともと、自分は日本美術の方が興味がありました。日本美術は写実的主義ではなく、そのものを個々人がどう捉えているのかを、悪く言えば誇張して書くものだと自分は考えていて、そのような個々人の機微を実際に絵画として目の当たりにする、そこに芸術感みたいな感性が揺さぶられる、こともある、と思っています。
西洋美術は写実的なものが多く、それなら写真の存在で存在意義をなくしてしまう、そんな風に考えていました。が、存外遠からずなのかな、と考えております。
一見、写実的に見えるものはあくまで写実的に過ぎないだけで、その文化的背景や個人の傾向について、自分の知識が少ないだけだと痛感しました。
何事も無知は恥ずかしいものです。
この療養期間中に焦って、世界史や絵画について勉強をし直している毎日です。

自分は理系で、古典物理を少しかじりましたから、どちらかというとそっちの頭の使い方に慣れている気がします。これからは、そのような右脳?(どっちだかは覚えていませんが)的な方も鍛えていかないといけない、そう考えています。

と、まあ最近考えていることをなんとなく、ガーッと書き連ねましたが、ここまでこの文を読んでくれている数寄な人は相当僕のファンということでしょう。

合わせて、教養として映画について、基本どころはおさえておかねば、と思い、著名な映画をひたすら見ようともしています。
オススメを教えてください。

僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安、これは誰もが抱きますし、忘れています。
当面は、結婚できるかな、、、そんな不安になりそうです。

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