しめちゃんへ

しめちゃんへ

前回のコラムは"ゆみより"と締めくくられていたが、彼女と会ってからずっと私は"しめちゃん"と呼び続けているのでしめちゃんといつも通りに続けることとする。彼女とは予備校時代財布がお揃いだった仲である。母に買ってもらったキャスキッドソンの財布はまだ壊れず残っている。そんなまだ若かった予備校時代のある日「今日帰り残っていく?」と聞かれた彼女が「眠くて怠いから帰る。」とささっと帰っていったのを横目にみた。私は最後の方まで残っていればお受験は報われると思っていたので、かなりそのスピード感覚が衝撃的で「なんて強い等身大だ」と思った。なんか1日何本もチ○ビタドリンクを平気な顔で飲んでいたし、私はかなり精神的にも身体的にもその頃参っていてチオ◯タドリンクも飲んですぐ胃から逆流してトイレに駆け込んだりして常に土色の顔色だった。私自身と比べ彼女のたくましい等身大さが羨ましかったのを覚えている。
そんなしめちゃんは友人と2人でカオマンガイ日和という交換ブログをやっている。私は最初カオマンガイを食べているブログかと思ってリンクへ飛んでみたが、しめちゃんの友人が大学に行ったはいいが友達と話しただけで帰ってきてしまったと言う内容だった。そこにしめちゃんがいたのかさえわからない文章。でも2人が会話までいかないコミュニケーションを取っている感じがしてむず痒く楽しく読んでいた。その頃の私も誰に読ませるでもなくメモにコラムを書いていて長い文を読むことや書くことは楽しい事だよなと再確認したのがカオマンガイ日和だったことは違いないのだ。その後しめちゃんが触れてくれた美容コラムやら土産コラムやらをポンポンとインスタグラムに長文を上げてみていまいちハマれなかったツイッターなどの短文形式のSNSと違って、ずっと鉛のように重かったスクロール画面がスルスルと動いたのである。
急な話だが私は大概面倒な人間でしっかりその自覚がある。会社の花見のブルーシートくらいの規模の大きさの好奇心を1人で広げ寝転んで両手足をジタバタと永遠に動かしている。地獄のような好奇心旺盛者なのだ。ただ人があまり得意でない為に暗かったり威嚇してしまったりして誤解を受けやすい。良くないね。私は人が作ったもの、文化が大好きで守りたいとさえ思っている。この強い想いはやはり周りには私という像を解すると伝わりにくく「多趣味」「センスが良い」といいように歪曲して流れていってしまった。しかし最近このままでは良くないのかも食い止めなくてはと思い始めたのである。何気ない会話の中で順に巡る同じ質問「普段何してるの?」「普段何食べてるの?」「普段何聴いてるの?」「そのリップどこの?」が私に回ってこないことに気づいたからである。ある日知り合いをとっ捕まえて何故問わないのか聞いてしまった事がある。こう答えが返ってきた。「自分がやっていることを否定されそうで怖い。」と。それはたしかに怖い。私は今までインプットを周りが見えるところで行なってアウトプットは1人見用メモにコラムで大量に残していた。(確認したところ80くらい原稿がある)側から見たら息を吸い続けるやばい人だったのである。それから割とフランクな言葉遣いを心がけて長文を公開し始めた。すると雑誌を作るから一緒にどうかとか参考になったとか声をかけてくれるようになったのである。そしてしめちゃんが一緒にコラムを書こうと言ってくれた。かなり嬉しい。そして文を面白いって言われる事が結構喜びになることを知った。今回は私が書くに至ったところまでのかなり上澄み部分しかすくえなかった気もするが、今日はエピローグとして私が独りよがりな部分を彼女とのコラムという対話によって何か柔らかい息が吐けるようになればと願う話である。ちなみに大戸屋で私が好きなのはもろみチキンの炭火焼定食。日高屋はまだ行ったことがない。

りんより