千里さんとぼく

どこから書けばいいかと、どう書けばいいかと、この文章を綴りながらも迷っている。
僕にとっての「大江千里」という存在への入り口は、1995年あたりにあり、それは今から約25年前。四半世紀前。
時間軸に沿って語ろうか、アルバムやシングル毎に語ろうか、それともエピソード毎に語ろうか、いやいや、そんな「語る」なんて大そうな事は控えようとか、色々考えたけれど、今回の、入り口の事は、僕自身も記憶と思い出を手繰り寄せながら記していこうと思う。

元々は「ポンキッキーズ」で起用されていた「夏の決心」で、千里さんの音楽には既に触れていたのだけれど、その頃の僕が聴いていたのは、専ら当時のアニメソングばかり。
ドラゴンボール、幽遊白書、らんま1/2、パプワくん、少年アシベ、スラムダンク…などなど。
そういえば、当時、アニソンのカセットテープやCDって、オリジナル歌手じゃない人が歌っているのがあったけれど、あれって一体何だったんだろう…何を隠そう、僕の家にあったのはそういうカセットテープやCDばかりで、それをずっと聴いていた。

「夏の決心」がリリースされた1994年末に、「Sloppy Joe II」という、千里さん2枚目のベスト盤もリリースとなったのだけれど、ある日、僕の母はその「Sloppy Joe II」を手に入れて来る。
それが94年だったか95年だったかは覚えていないか、父の運転する、家族旅行の車内では、それまでの大瀧詠一、ナイアガラトライアングル、松任谷由実「流線形’80」、オールディーズ、アニメソングなどのラインナップに加え、「Sloppy Joe II」も流れるようになる。
JPOPなんて全然まともに聴いた事のない僕にとっては当初とても抵抗があって、「夏の決心」は「あ、ポンキッキーズで流れてるやつだ、知ってる〜」くらいで、「早くスキップしてくれ」なんていう、今となっては当時の僕の頭を後ろからスリッパで引っ叩いてやりたいほど恥ずかしい発言を両親に対して繰り返していた。
だが、車に乗せられるとずっと聴き続けるせいか、刷り込みのようなもので、段々と「Sloppy〜」の曲たちを何となく覚えて、何となく口ずさむようになっていた。
あれはスキー旅行から帰ってきた時だったか、帰宅して玄関を上がった時にふと「真冬のランドリエ」を気持ちよくフンフンと歌詞を思い出しながら歌っている自分自身に気づいた。
「幸せの数はいつも割り切れない…なんだよ、なかなかいいじゃないか」生意気に頭の中でそう呟いてから、僕は「大江千里」とその音楽に埋没するようになる。

母に頼んで、件の「Sloppy〜」を譲ってもらい、弟との相部屋でラジカセで毎日聴いているうちに、自然な欲求として、新しい千里さんのアルバムが欲しくなる。
その頃、リリースされたばかりの「SENRI HAPPY」を親に頼み、新星堂(懐かしい!)で買ってもらい、自分の好きな曲を集めてカセットテープを作ったりもした。
「Sloppy Joe II」と「SENRI HAPPY」は浴びる程聴いた。

中学2年になったばかりの僕は、とうとう「生千里」に触れる。
NHKホールでの15周年コンサート。
会場に着いて周りを見渡すと、当時の僕と同世代か少しだけ上くらいの世代と思しき女性ファンも多くて驚いた。
確かアルバム「ROOM802」がリリースされた直後だったはずで、そのアルバムを数日聴きまくって当日を迎えた覚えがある。
もう細部までは覚えてないけれど、あの日のNHKホールに辿り着くまでに、僕の周りを流れていった公園通りの風景とか、街の湿度とか、今でもたまに思い出しては、胸をかきむしられる。
多分あれが、あの日から今でもずっと僕の中の「渋谷」なのだ。

肝心の千里さんのコンサートは、兎に角、素晴らしかった。
全身の毛穴から、歓声や拍手や手拍子と共に、「大江千里」とその音楽が入り込んで来るのが分かった。
それまで感じた事のないような、「うれしい」に近いような、でもちょっとそれとは全く別モノの、初めての感情も知った。
僕はあの渋谷の夜に、間違いなく射抜かれたのだ。

それからの僕は、よくサボっていたピアノ教室にもちゃんと通うようになり、千里さんの真似事のような歌詞を富士通のワープロで書き始めてはそれをフロッピーに保存し、アコギを始め、曲を書き始め、カセットテープに吹き込んで、譜面も満足に読めないのに譜面を書こうとして挫折して…
そうして、僕は千里さんから、あらゆるきっかけを勝手にもらってきた。

「真冬のランドリエ」に出てきた「ピリオド」の意味を知らなかった僕は、辞書を引いた。
「大江千里」の歌詞を自分なりに読み解いて紐解いて、ずっとその世界たちを羨望していた。
そんな風にして「大江千里」を背伸びをしながらずっと聴いてきた分、僕の中にはそれが広く深く染み込んでいる。
僕の「大江千里」とその音楽への入り口。

「大江千里」を知ってから、千里さんの音楽を聴かなかった日はあるけれど、千里さんの音楽を聴かなかった月はないし、千里さんの音楽を重ねない季節はない。

一昨年から年一で催しているカバーイベントで、僕は毎年千里さんのカバーを演っている。これまでずっと傍にあったせいであまり意識をするような事は無かったのだけれど、僕はそのイベントで「大江千里」を演る度に、「あぁ、やっぱり好きなんだなぁ」と、「海がきこえる」で武藤里伽子を吉祥寺駅の反対側のホームに見つけて駆けつけた時の杜崎拓さながらに、改めてしみじみ思う。
素晴らしくありがたい事だな、とも。

僕の中で血となり肉となり、四半世紀流れ続けている特大の千里愛でもって、カバーイベントでまた「大江千里」を演れたらいいな、と思っている。

ちょっと気持ちが向いた時に、サポートしてもらえたら、ちょっと嬉しい。 でも本当は、すごく嬉しい。