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美しく、シャンとする

教会でスタッフとして働いていたころ、未熟な私のことを何かと気に掛けてくださった80代の老婦人がおられた。ご婦人は重篤な病を抱えておられた。それでも、日曜日の礼拝にいらっしゃる時には、そのときどきで、いつも洒落たワンピースを着て、手の指にはワンピースに合った色のマニキュアを施して来られるのであった。気丈な振る舞いをなさるご婦人であられた。

ある夏の暑い盛りの日曜日。
その老婦人から贈り物をいただいた。「開けてごらんなさい」と、ご婦人からうながされて、箱を開けると、扇子が入っていた。透かし模様の入った美しい扇子。それが高価なものであることは、若輩の私が見ても一目瞭然であった。

老婦人はおっしゃった。「ねえ、美穂さん。いつも綺麗でありなさいな。美しくシャンとしていることは生き方に繋がりますよ」

私はいただいた扇子を大切にしまって保管した。いつか、この扇子に似合う女性になりたいと心から思った。しかし、度重なる引っ越しやら私自身の環境・境遇の変化などで、生活に追われ、すっかりと「扇子」のことを忘れてしまった。

それからまた幾年かが過ぎて、今度は私自身が闘病の身となった。闘病生活になってからは、私は化粧をしなくなり、着るものにも頓着しなくなった。あのご婦人のことも記憶の彼方に行ってしまった。

そのようなおりに、その老婦人の訃報を伝え聞いた。
私はいただいた「扇子」を失くしたことを後悔した。
同時に、扇子は手元にないけれどもあのアドバイスは私の中で生き続けると思った。

さて、今、私はどんなに具合が良くなくても外出のときには精一杯に身なりを整え、化粧もキチンとしてから人前に出る。あの老婦人が重篤な病を抱えながらも、華やかなワンピースに身を包み、背筋を伸ばし、装い美しくおられたように、私も、そうありたいと願いつつ。

「ねえ、美穂さん。いつも綺麗でありなさいな。美しくシャンとしていることは生き方に繋がりますよ」
天国からも、あの声が聞こえてきそうだ。

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