中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!29

新聞

 2020年1月初旬、一人の女性から私の携帯に電話がかかってきた。彼女は自分の名前を名乗りTokyo Kitchen にとても興味があると言った後、どうしてTokyo Kitchenを始めたのか、どうしてデンマークに来たのか、日本では何をしていたのか等色々な質問をしてきた。実は以前にも Tokyo Kitchen に興味を持ってくれた人から問い合わせがあり、Tokyo Kitchen に見学しに来て同じような質問をされたことがあった。私は彼女がどういう人なのかよくわからなかったが、Tokyo Kitchen に興味を持ってくれたことをとても嬉しく思い、彼女の質問にどんどん答えていった。彼女は私の拙い英語でも真剣に話を聞いて相槌を打ってくれたのでとても話しやすかった。彼女は一通り質問した後「ありがとう!あなたの話はとても楽しかった!後でメールします。」と言い、私たちは電話を切った。私の目の前で電話の会話を一部始終聞いていたエミールが「誰?」と聞いてきたので「よくわからないけど、Tokyo Kitchen について興味があったらしいよ。」と私は答えた。
 その数日後、私のメールボックスに1件の新着があった。デンマーク語だったのでエミールに見てもらうと、彼は突然「ミノ!この間、電話で質問してきた人覚えてる?あの人新聞会社の人だよ!」と興奮して言った。私は「え!?そうなの??」と驚き、送られてきたメールの内容を翻訳アプリで読んでみた。すると、先日私が電話で特に何も考えずに適当にベラベラ話していた内容が上手くまとめられた文章だった。そして文書の終わりに "Jyllands-Posten" と書かれていた。「"Jyllands-Posten" って新聞会社なの?」とエミールに聞くと「そうだよ!しかも大きい新聞会社!」と言った。私は「そういえば彼女、Jyllandsなんとかって言っていたかも?え!?彼女、記者だったの!?」と再び驚いた。電話のインタビューの会話を最初から最後まで聞いていたエミールは「あのインタビューでよくここまで上手に文章を書いたよね。」と感心していた。私はもっとしっかり考えてから答えれば良かったと後悔した。
 数日後、働いている私たちの写真を撮るために新聞会社から数人のスタッフがTokyo kitchenに派遣されて来た。彼女達は自己紹介した後、撮影ポイントを決めるためキッチンの中を隈なくチェックし、大きな照明と高級そうなカメラを鞄の中から取り出した。その様子はまるでモデルの撮影現場のようだった。その様子を見てるだけでも、私とあーちゃんとゆうこさんはテンションが上がり、いつもは外見を気にしない私が鏡の前で髪の毛をセットしたりした。(笑)
 撮影準備が終わると、カメラマンが「いつも通りにお願いします。自然なポーズで!」と言って私達の写真を次から次へと撮っていった。私達は「なんか私達モデルみたいだよね~!」「照明って眩しんだね~!」「お肌綺麗に映るから我慢して!」「有名人になっちゃったら、どうする~!?」等とふざけた冗談を言いながら終始ハイテンションのまま撮影は終了した。
 約1週間後、Jyllands-Postenの新聞にTokyo Kitchenの記事が記載されたと連絡があった。私はキヨスクやスーパーを3件くらいはしごしてようやく1部購入することが出来た。新聞を購入した後すぐにお店の隅で新聞をこっそり広げてみた。すると新聞の両面にTokyo Kitchenの記事が大きく記載されていた。予想以上に記事が大きく載っていたことに私は驚き興奮した。そして直ぐにあーちゃんとゆうこさんにメッセージを送った。彼女達も大興奮してメッセージをくれた。私は彼女達の分の新聞も購入したいと思い、その後いくつかのお店を訪れたが、新聞はどこにも売っていなかった。1部しか新聞を購入出来なかったことを残念に思っていたら、翌日義母が3部新聞を購入したと持ってきてくれた。さすが義母である。
 Tokyo Kitchen の記事が新聞に載った翌週、今まで来たことのない人達、特にお年寄りの人達が寒い中、来てくれるようになった。そしてあるご夫婦が「新聞見たわよ!私達今日初めて日本食食べるの。楽しみだわ~!」と言った。この時私は「どうかこの方達が日本食を美味しいと思ってくれますように!」と願った。それと同時に素晴らしい記事を書いてくれたあの新聞記者に心から感謝した。

コロナ

 新聞にTokyo Kitchen の記事が搭載されるちょうど1カ月前の2019年12月、中国でコロナという未知のウィルスが発生したとニュースになった。しかし、当時私の周りでは誰もこのウィルスを大問題として考えている人はいなく、"遠い国でウイルスが発生したんだね。怖いね~。そのうち収まると良いね~。"といった感じだった。しかし、年が明けた2020年1月になると、私の周りでも知人の知人がクリスマス休日を海外で過ごし、デンマークへ帰国した後、体調が悪くなり検査をしたらコロナに感染していたといった噂が聞こえ始めた。コロナが間近に迫っているにも関わらず、私達3人といえば新聞に自分達の記事が記載された話題で盛り上がりコロナに関してはまだどこか他人事のように捉えていた。それから間もなくして、デンマークでもコロナが本格的に流行り出し、アミューズメント施設、ショッピングモールはクローズされ、学校の授業がオンラインになった。さらに外出時は皆マスクをすることが義務となり、屋内で集まる人数はもちろん、屋外で集まる人数まで制限された。これらに違反すると罰金を支払わなければならないのである。日用品を買うスーパーではレジの所に感染予防のプレートが設置され、レジに並ぶ間隔まで決められたテープが床に貼られた。人々はお互い感染しないように一緒に住んでいない人とはなるべく会わないようにした。今まで人類が体験したことのない異様な世界に人々は混乱し戸惑った。レストランではイートインは出来なかったがテイクアウトは可能だった。Tokyo Kitchenはテイクアウトのお店なので継続してオープンすることは出来たが、3月になると一日の感染者数が急増したため、私達はしばらくTokyo Kitchen を休む決断をした。しかしお店が休みの間も私達は毎日のように連絡を取り合っていた。コロナや子供たちの話はもちろんしたがTokyo Kitchenの話題は途切れることはなかった。休みの間も次から次へとTokyo Kitchen でやりたいことや新しいアイディアがドンドン沸いてくるのである。1週間Tokyo Kitchenをオープンしていないと、自分がTokyo Kitchenロスになっていることに気が付いた。早くまたあのキッチンの中でアドレナリンを出しながら、忙しく立ち回りたいのである。今考えるとこの頃には既にTokyo Kitchen は私の心の居場所になっていたのだと思う。
 Tokyo Kitchen をクローズしてから約1ヶ月後、デンマーク政府はコロナ規則の緩和を発表した。それに従い、私たちもTokyo Kitchenを再開することにした。Facebookで再開のお知らせをすると、沢山の方から喜びのコメントを頂いた。今までこんなにリアクションをもらったことが無かったので私はとても嬉しかった。妊娠しているあーちゃんは万が一のことを考え、欠勤することになり私と優子さんの2人で再開することにした。オープン当日、買い物しながらキッチンへ向かう途中、携帯のSMSの音がひっきりなしに鳴っていることに気が付いた。緊急の連絡なのかと思い自転車を止めて携帯を確認すると既に20件以上の予約のメッセージが届いてた。「ヤバイ!今日絶対忙しくなる!」慌てて、優子さんに連絡し早めに出勤してもらうようにお願いした。そして私はキッチンに着くまでの間、頭をフル回転して仕事の優先順位を考えた。キッチンに着いてもSMSのオーダーが途切れることはなく、私と優子さんは2人で必死にキッチンを回したが、オープン時以来の注文数が来てお客さんが予約した時間にご飯を作ることが出来なかった。今思うと予約時間を変更してもらうとか、直接来たお客さんには売り切れゴメンにすれば良かったと思うのだが、まだフードビジネスの経験が少ない私たちは目の前のお客さんのご飯を作ることだけで精一杯だった。その結果予約したお客さんを長い時間待たせてしまうことになった。キッチンをクローズした後、いつものように掃除をしながら優子さんと反省会をした。今回は大反省会である。「そもそも2人だけでキッチンを回すことに無理があったこと、あーちゃんはいつ復帰出来るかわからないので、本格的に人を雇う必要があること」等々反省すべき点が沢山あった。この日をきっかけに人を雇うようになり、キッチンも前以上に賑やかになった。またこの頃私はTokyo Kitchenの仕事に集中するため、さらに家族との時間をもっと持てるようにするため日本語補習校の仕事は辞めることにした。

親愛なる子供たちへ

 コロナが発生した時、あなた達はまだ2歳と4歳だったので、当時のことはよく覚えていないと思います。あなた達が通っていた幼稚園は休園になり、様々な屋内の施設は利用出来なくなりました。デンマークの冬は天気が悪く、日照時間が短いということもあり、私たちは多くの時間を家で過ごすことになりました。たまに天気の良い日は皆で近くの公園に出かけたりしましたが、他の子供たちが遊んでいると公園を素通りしなければなりませんでした。ウィルスの感染予防のため、お互い近寄らないという暗黙のルールがあったからです。まだ小さいあなた達はどうして自分たちが公園で遊べないのか理解できず、公園の前で大泣きしたことが何度かありました。その度にママは「他の国では自由にお散歩出来ない所があるのよ。デンマークは自由にお散歩出来るから良かったね。」と言い、あなた達そして自分自身をも励ましました。
 誰にも会えず、いつまでこのような状況が続くのか分からない中で生きていかなければならないことはとても大変で多くの人が鬱になりました。パンデミックはウィルスとの闘いだけではなく、孤独との闘いでもあります。
 今後あなた達が生きていく中で、また今回のようなパンデミックの環境で生活しなければならない時がくるかもしれません。その時はどんなことでも良いので目標を持ってください。今日は〇〇の掃除をしようとか、今週は〇〇を作ってみようとかです。一日中家の中で変化のない時間を毎日過ごすと、人はだんだん廃人化していってしまいます。目標や希望を持って生きるということが如何に人間にとって大切なことなのかということをこの時ママは知りました。
 また、禍中(パンデミック、災害、戦争等)では毎日様々な情報が発信されますが、渦中の中にいるとどの情報を信じれば良いのかわからなくなってしまいます。様々な情報を調べて、それでもどれを信じて良いのか分からなくなった時は自分の直観を信じてください。友達と同じようにするのではなく自分の直観を信じるのです。これは禍中だけのことではなく、何かを決断する時もそうです。人間の持っている直観って案外馬鹿に出来ないものだとママは思っています。
 わかっていると思うけど、決断する前は必ず必要な情報を十分調べましょう。それでもどうしてもわからない時は、あなたの持っている直観を信じてください。何も調べずに最初から自分の直観を信じることだけは止めてね。:)

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