中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!28

青春

 フードビジネスを始める前までは、料理を作って販売するといっても、いつも家族にご飯を作っているから大丈夫だろうと考えていた。しかし実際に行ってみるとやり方が全く違うことがわかった。そもそも、Tokyo Kitchen で料理を作る場合、家庭料理とは比べものにならないくらい仕込みの量が多い。なので野菜を切るだけでも結構な時間がかかり体の疲労感が全く異なる。また調理方法や食料の保存方法などは保健衛生局のルールに従わなければならないので、例えば冷蔵庫の使い方など家では全く気にもしなかったことに注意しなければならない。さらに家庭料理の場合失敗しても家族は許してくれるが、ビジネスの場合は悪評につながってしまうので家庭料理のようにちゃっちゃっと適当に味付けすることは出来ない。また予約しているお客さんもいるし、直接来店して注文するお客さんもいる。これらの料理を同じタイミングで同時に仕上げなければならず、これがなかなか難しい。
 そんな難しいポジションを担当していたのは料理上手な優子さんだった。優子さんは皆と会話しながらいつも手際よく料理を美味しそうに作っていた。彼女がやっていると簡単そうに見えるので、私でも出来るのかな?と思い、一度優子さんが休んだ時に料理をしたことがある。しかし私の場合、頭をフル回転させて集中して料理をしなければならなず、あーちゃんやお客さんと話しすることが出来なかった。この時改めて優子さんのマルチタスク能力はすごいなと実感した。
 愛嬌があり語学が堪能なあーちゃんは主に受け付けを担当した。何の話をしているのかわからないが、彼女はいつもお客さんと「わっはっはー!」と笑って楽しそうに会話をしていた。私はフリーのポジションで、2人のサポートをした。ご飯炊きや、おかずの盛り付け、受付や調理のヘルプ等である。そして、キッチンをクローズした後は、3人で賄いを食べながら改善点や新作について話し合い、大変な掃除もおしゃべりしながら3人で終わらせた。今考えると、あれは間違いなくキラキラしたおばさんの青春だった。

味が決まる!

 優子さんを中心に、私たちはお客さんがいない時間、新作品や今販売している料理の改良をどんどん行った。優子さんは料理を作っている最中いつも「これで味が決まった!」と言っていた。彼女はどんな料理にも味が決まる瞬間があるから、それを見逃さないことが重要だと教えてくれた。しかし、私は自分の味覚に自信がない。ある時優子さんに「味音痴の私でも "味が決まる!"ってわかるのかな?」と聞いたら「自分が美味しいと思ったら美味しいのよ!」と言われた。それからというもの、私は積極的に新作品の提案をした。今の時代ネットで検索したらいくらでも料理のアイディアは出てくるので料理のレパートリーが少ない私でも次から次へと試してみたい料理が出て来た。残念ながらそれらの多くは採用されなかったが、家でさまざまな料理に挑戦しているうちに、自分の料理スキルが上がっていったように思う。家族には何度も何度も同じ料理を作って飽きられたこともあったが、試行錯誤しながら様々な料理に挑戦することはとても楽しかった。

注文数が増えた

 当時はお客さんの数もそんなに多くなかったので、3人で暇な時間に料理の改良を行っては「ヤバい!これ、めちゃくちゃ美味しいんだけど!」「また美味しくなっちゃったね~!」といつも褒め合いをしていた。私たちのメインのお客さんはXの人なのだが、秋の終わり頃にはXの人ではない普通の(!?)お客さんも少しずつ来るようになってきてた。それまでいつもチキンを2㎏購入していたのだが、営業中にチキンが足りなくなり近くのスーパーに買いに行かなければならなくなったことが何度か発生した。この頃から以前の仕込みの量では足りなくなってきた感覚があったが、先週仕込みの量で足りなかったからと思い、翌週仕込みの量を増やすとお客さんが全く来なかったりした。客数を予想するのは本当に難しいものである。

 この年の12月の初旬のある日、私は、足に虫に刺されたようなかゆみを覚えた。「虫に刺されたのかな?もしかしたらダニなのかな?でも12月でダニに噛まれるのかな?」と考えているうちに、かゆみが徐々に広がり、足の広範囲で痛みを感じるようになった。気が付いたら私の足は象みたいに膨れ上がり、じっとしていると痛みで歩けなくなってしまった。ドクターの所に行くと「結節性紅斑」と診断された。大体が自然に治癒されるから、そのままほっておくようにと言われた。一旦歩き出すと足の痛みは減少するが、ずっと歩いていることは出来ない。とにかくじっと1か所に立っていられない。補習校の授業は座らせてもらい、何とか授業を終えることが出来たが、Tokyo Kitchen で仕事することは到底無理だった。なので優子さんとあーちゃんには申し訳ないが、キッチンで仕事が出来ない旨を伝えて歩けるようになるまでの数週間休ませてもらうことにした。
 当時私の携帯はTokyo Kitchenの携帯でもあったので、営業している金曜日の17時~19時半の間はお客さんから注文の電話がかかってくる。その注文内容を優子さんとあーちゃんのグループチャットに入れると、だいたい直ぐに「OK!」と返事が返って来た。しかしある営業日、グループチャットに連絡してもなかなか返事が来ないことがあった。お客さんが注文を取りに来る時間が迫っているので、優子さんに電話をしたが電話に出ないのである。何回か電話をかけて、ようやく優子さんが電話に出てくれた。すると「ミノさんの注文はわかってる!でもお客さんが多すぎる!ヤバい!」と言って慌てて電話を切られた。
 後で聞いた話だが、この日あまりにも注文が入り過ぎて2人共パニックになっていたらしい。いつもやる気に満ちていたあーちゃんがキッチンの真ん中で「もう駄目だ。」と言ったのを優子さんが聞き、優子さんがあーちゃんの両肩をもって「あーちゃん、頑張れ!」と励ましたということだった。
 お客さんが確実に増えたと感じ始めたのはこの頃からだったと思う。しかし当たり前のことだが当時は週1回しか営業していないので、自分たちの給料がもらえるにはまだまだ売り上げ金額が足りていないのが現実だった。
 

最愛なる子供たちへ

 今、あなた達は8歳と6歳になり少しずつママの料理を手伝うようになってきました。特にアミは3歳の頃からママがキッチンにいるといつもママの隣に来てお手伝いをしてくれます。最近あなたはママの真似をして料理している間「美味しくな~れ!美味しくな~れ!」と言います。
 アミちゃん、あなたが最近言い始めたこの言葉は魔法の言葉なのよ。「美味しくな~れ!美味しくな~れ!」と念じながら料理をすると本当に美味しい料理が出来るの。だからママは、家でもTokyo Kitchen でもどこででも料理する時は必ずこの呪文を心の中で唱えています。
 いつかあなた達がこの言葉の大切さをわかってくれたら、ママはとっても嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?