隆文1980年5月4日江の島_0002

ただの社内異動の記録をエモく再編集したらよく見えるのかという記事

新卒

2001年に新卒で入った会社は2000年問題バブルに浮かれていて、よくわからない新卒を186人も取ってしまって、その後落ち目になって毎年リストラを繰り返した挙げ句に最終的に他の会社に買収された(買収は僕が辞めた数年後)。同期や後輩の女の子がかわいいかった、という印象しかない。仕事はパートナー担当のプリセールスエンジニア。

きっかけ

アメリカかぶれの一歩を踏み出したのは、出張でサンフランシスコ&メンロパークにいって、一日自由行動日を作ってレンタカーでスタンフォード大学まで運転したとき。あのパームツリーの通りを通ったときになにか感じるものがあった。なにしろ単純なので、その後もセーフコフィールドでイチローのサヨナラヒットみたり、ケリーパークを散歩したりする機会があるたびに、「お、俺、アメリカに住んでもいいかも?」とか思っちゃうのだ。

転職

2006年にその前年にスタートアップに移った元チームリーダーに誘われて、今の会社に参加。当時ワールドワイドで159番目で、日本オフィスでは8番目。渋谷の雑居ビルだった。仕事は引き続きプリセールスエンジニア。パートナーとハイタッチ両方。正直言ってプレセールスとしてはたいしたことなく、1ヶ月先輩のエンジニアや上司になった前述のチームリーダーがバリバリ働いていて、僕は製品のベータテストとかをやっていた。

社内インターン

2008年の夏、上司が気を利かせてシアトルのエンジニアリングチームへのインターンの機会を作ってくれた。期間は1ヶ月半。そのとき本社はメジャーバージョンのリリース前のテストをしている時期で、ひたすらバグを見つける毎日。インターンが終わったとき、先方のマネージャーが「こっちに来たら?」と言ってくれたのだが、当時は完全に社交辞令としか思っていなくてスルーしてしまった。もしかしたらあそこで Yes といっていたら行けたのかもしれない。が、もしあのときUSに渡っていたら、その後のリーマンショックの大リストラで職を失っていた可能性がかなり高い。

転機1

時は流れて2009年秋。「日本のお客用に日本にエンジニアを置こう。」という話になり、「そのために誰かクビにしてエンジニア1人雇うか、誰かコンバートして」という話になったかならないかは知らんが、上司に興味ある?と聞かれたので「はい」と即答。2010年1月から3月まで3ヶ月間本社でトレーニングし、帰ったあとに一応開発っぽいことをするものの、当時うちのエンジニアリングがやったことがなかった時差ありのリモートワークの難しさに挫折しかけ、会社の買収も決まって、いまいちだなー、と思って転職を考えてVMWareとか受けたけどさっくり実力不足でお断りされたりと、ちょっとどん詰まりな感じがしていた2010年末。

転機2

ところが、2011年の頭に話は動く。

2011年にキックオフミーティングでシアトルに行き、酒を飲んでるときに、酔っ払ったアメリカ人の同僚に「ちょっと新しい親会社スーツ強制らしいしやめようかなー」みたいな話をしてたら、そいつが「お前、営業の下じゃなくて、アメリカで働けよ」といって、当時のエンジニアリングSVP(一番偉い人)のところにいって、「You should hire him. He should work for you」(みたいな英語)と言ってくれて、SVPはきょとんとしていたんだけど、「そうか、明日詳しく話そう」とか言われて終わった。

で、翌日、午前中のトレーニングの後午後オフィスに行くと、SVPの個室にはだれかがひっきりなしに出入りしていて話しかけるスキが無く、とうとう別件の夜の集まりに出かけなければいけなくなりそうになった。SVPは他の偉い人と個室内で激論を交わしてる。メールで済まそうかとも思ったものの、もしここで話したのと話さないのとで、結果に違いが出たら後悔する、と思ってノックして割り込み、話をきりあげてもらった。

SVPはわりとノリノリで、「俺の組織ってこんなんだけど、どこで働きたい?」とかいってくれて、さらに最後に「お前はとてもクレバーだから、俺のファミリーから手放したくは無いんだよ」と言われた。社会人生活のなかで直接言われた言葉の中で、最高レベルにうれしいセリフだった。彼が僕を気に入ったのは、以前障害対応である種類のキャッシュに問題があって調査が行き詰まってたときに、僕が「それ、そのキャッシュをOFFにすればいいんじゃない?」とマリーアントワネット的なツッコミを入れたから、という技術的にはどうということもない話だったようだ。人生何が気に入られるかわからない。

その後も話が立ち消えないように CEOにも「USに来ることになったよ」と伝えたり。最初親会社の人事はVISAは1週間で取れるとか言っていて、いくらなんでもそりゃねーだろーと思ったら、「L1Bブランケットは使えない」「というかお前Job changeになるのでそもそもL1Bを使うには実力が足りない」「お、CS出てるならH1Bでいいじゃん」「なら、10月からね」と順調にずるずる伸びていき、2011年の10月に渡米して今に至る。最近の人には信じられないかもしれないが、2011年はH1Bが抽選にならないどころか、その年かなり長い間定員に達しなかったのだ。

で、今に至る

渡米後は頑張ったり頑張らなかったりで7年半も経ってしまった。プロモーションとかMVPとかはいっぱいもらえたので、割とうまくいったほうだと思う。相変わらず英語は会社で一番できない。今の上司は僕をDistinguished Engineer候補生にぶっこんでくれたが、SDETとしてのキャリア的にはやや行き止まり感があるので、次は別の部署でDev見習いから再スタートする予定。

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と思ったけどそんなんでもし小銭が入ったら確定申告が面倒でまったくメリットがない。普通に書こうかと思ったけどわりと生々しいし誰得なのでやめておく。


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