Fri 4th AM8:14
Fri 4th AM8:14
"Kansai Airport, Thank you"
ふと思えば不安ばかり。財布の金を38,000円で足りるかとか、トラベラーズチェックはちゃんとバックに入れたかとか。パスポートを持った。チケット引換券も持った。デジカメも。電池もだけど。トラベラーズチェックの控えだけ持っていても意味はないし、今さっきまでデジカメのストラップ部分にヒモを通すのに奮闘。トラベラーズチェック500 USドル = 58,000円分+ 38,000円= 96,000円。96,000円→1ルピー=3円→32000ルピー。チャイ5ルピー。一泊約350ルピー。8月4日から8月14日までタゴール大学@サンティニケタン、8月15日はたぶんカルカッタ、8月16日から8月23日までたぶんバングラディッシュ、最後に8月24日から9月15日までカルカッタのマザーテレサの家。9月15日の夜22時ごろに空港へ向かい、9月16日の2時のフライトでタイ→日本へ。9月16日のPM8時か9時に大阪到着。お腹が減った。7号車の6ーD窓側席。前にある電子掲示板:Next Kansai Airport
Thailand airport PM4:50
"via Singapole" "Can I take a seat?"
機内食。緑のネギ、緑のわさび、緑の麺。もっと色くわえろよ笑。でもM.I.Ⅲ観られてよかった。でも飛行機の中で6時間。エコノミー症候群になりそうだった。だけど、コレトウさん曰く、”あ、あ、って喘ぐほどエコノミー症候群って痛いんだよ”って言ってくれはった。ベンガル語の教科書を読んでたけど、難しい。日本語と語順が似てると書いていたけれど、あまりそうでもなかった。そして降り立ったバンコク空港。昼間に着いたのは今回初めて。昨年はPM9:00着だったから景色が見られてよかった。空は曇り、降りてくるとき、雲の中を通ったのが窓からわかった。着くやいきなり長い通路。懐かしい。この道をはしゃぎながら去年は歩いていた。そして今年(今回)も…。”アロマ・マッサージ・セラピー”日本語カタカナの文字。あまりタイにいるという感覚がない。だけど周りはみんな黄色白色黒色の人々ばかり。英語やタイ語が耳の横を行き交う。日本語は僕らの輪の中以外からは聞こえてこない。だけど僕の中にはまだ日本が残っている気がする。空港内で次のフライトまであと6時間。晩食を終え、先生らの話(沖縄での素潜りなど)が終わってもあと6時間。長い。空港外に出るのに500Bacht…。何して過ごそう…。
At transfer in Airport p.m. 7:30
In front of duty free store, five of us spending the time till flight comes to arrive at Bangkok. Among the time to come near fainting, I really really want to do or hear something funny. Oh, Mr. Koretou brought the book named in shocking words; its title is "ARABURU CHI" (wild blood).
"What's your country?"
ジョルダンからのオサマ坊やとルアン嬢(どちらも10歳以下)の戯れを見つつ、ただいま8時20分前。"Have a good flight!" 信仰の民。彼らはしばらく直立不動で両手を合わせた後、5度から6度跪き、顔を伏した。眉の強い形、黒く鋭い瞳。肌の色は小麦色、空気は静寂。見つめる方向に神は存在する。力強い信仰心。無国籍の空港を神聖なものに変える。そこには彼ら以外の誰もいない。それは狭い世界を遮断する力。そして今、僕らは、この広大な地球の一部を見つめる。信仰の民よ、あなたに心の平穏を。ほんのわずかな間の、静寂の心を。PM8時50分。
Eating boy. Just eating, just eating or swallowing through throat, and waiting for junk foods falling to stomach. Big boy don't walk, make noise, sleep without talking. He keep playing the game, shut his mouth up, nothing to do anything at all but eating playing, stopping, never moving, just freezing with crossing his feet. Fixed white body like a balloon in water to rest seat. Short walking and come back for game. He's always eating, gaming, looking down to display.
オサマとルアンのママは、とにかく必要最小限の言葉しか2人にかけなかった。だから子供たちは泣かなかった。ピンクのトレーナーの茶髪の子供たちの母は仕方ないから声をかけた。女の子の方は泣いていた。
黒肌の客引きを見た
ふざけ合う親父たちを見た
羊の群れを見た
そいつらを導く羊飼いを見た
道路の真ん中でうろつく野良犬を見た
車のボンネットの上で喋り合う男たちを見た
道はでこぼこ、エンジンの音がうるさく
静かな深夜の街に響く
ランニング一枚の男を見た
市街への間に立ちはだかる男を見た
荷車を押す子供を見た
下着一丁の男を見た
地べたで眠っている人々を見た
こちらを向いて薄ら笑いを浮かべた男を見た
ドライバーの声はやかましく、道はいつまでもでこぼこ
クラクションが鳴り響き、たむろう男たちを振り向かせる
ぷんと乳の腐った甘ったるい臭いが立ち込めた
僕らを運ぶタクシーが数少ないライトを頼りに
ターミナルへとたどり着く
その周りには、地面にしゃがみ込む者
体を横たえている者、そうして眠っている女性を見た
タクシーを降りた僕らは
運転手の瞳に気づく
彼は一言も言わずに
ただこちらを見つめている
彼の言わんとしている事は
よく分かっていた
僕は言われるまで彼のことを
見つめ返していた
彼の気持ちを知ると
僕はバックに手をかけ
慌てて彼を後にした
タクシーの通路を急いで抜け
後ろに誰も追っ手がいないことを確認する
真夜中の荒れたアスファルト道を照らす
褐色の電球
ターミナルの中には
異国人を狙ってて揺れ動く
影のようにつきまとう男たち
そして床をとこにして眠る人々
不規則に寝場所を取る
僕らは何かだにを避けるみたいに
レストルームへの階段を上っていく
登りきって振り返れば
そこにキリストのタイル絵が描かれていた
白い電灯に照らされた
白い壁の中央に
しかし下ではいまだに見えない足音が
近づいて通り過ぎる
光と闇
恵みを持つ者と
求め乞う者
ただ今
AM4:00
3分前
1分前
8月5日(土)
コルカタ
インド
ハウラステーション
Who knows? Who knows? Did you know that Sun rise from East as same as our country? Who knows? Who knows? Did you know that it's really glad to be called by someone else for everybody?
6日(日)PM9:07
志を高く持って
夜に輝く月のように
雲も届かぬ高い空に
さんざと輝く月のように
水の流れるせせらぎに
雨が降る
屋根を打ち
路の泥を解きほぐす
人はガンジスの河に流れていくのか
それとも雨のよどみに消えてゆくのか
泡は静かに散り失せ
窪みから窪みへと
地面に従いながら
揺られ、揺さぶられ、揺さぶられ
人ははたしてガンジスに流れ着くのだろうか
それとも淀んだ池の沼までか
人々の生活はますます泥の中に
ゆっくりと浸透してゆく
私は沈黙する
あなたも沈黙する
その真実を知った後ならば
あなたが微笑むなら
私も微笑む
しかし、その真実を知った後だから
人々の笑いのすぐそばには
それに仕える薄らかな微笑みがあり
そのすぐそばにも
それに仕える沈黙の表情がある
インド人は朝がとても早い
インド人は最初は無愛想
インド人はだんだん気さく
インドの天気は気まぐれ
彼は犬をひいても笑っていられた
ゴミをポイ捨てしても笑っていられた
Mon 14th
出発から10日
翼に白い模様がある鳥は、羽ばたけばそれがまるでホログラムのように見える。一日に天候が二転三転するようなこの土地は老後に適さないと先生が言った。しかし、このインドでおそらく骨を埋めるだろう人間もいる。雨上がりの朝は、分厚い皮で覆われた一人の顔のよう。誰もが持っている顔、誰もが日々常用している表情に似ている。その点、晴れた空に昇る朝日の輝きは、人を恐ろしく無力なものに変える。皮のむけた傷口のぬめりを含んだ肉の赤身。空に描かれるのは美しい何かではなく、醜い者の本来の姿なのかもしれない。それを人々は美しいと呼ぶ。己の本来の姿を必死に背後に隠しながら。
私をコントロールするのは私だ。しかし私は私によってコントロールされている。私の中に、私ではない私がいる。その私は何かを恐れ、それから逃げ、見つからないように隠れ、息を押し殺し、何度も寝たふりをしようとする。挙句の果てに目を閉じながら身を横たえて、あらゆる野獣の格好の餌に自らなろうとする。
魂を投げやり、愛してくれたもののことを裏切って、私は未だ私から別離してはいない。未だ私から解き放たれてはいない。
on the road it drizzle
17th (thu) Aug
プーリ行きの電車の中、10時15分発、およそ8時ごろ着。人々の朝は早く、5時前から人の声が車内から聞こえ、細い通路を右や左に、両手に商売道具をぶら下げ”チャイ、チャイ、チャイ”と呼びかける。肌の黒い男性の声が3段ベッドの軒下を1人また1人と通過した。6時、寝台車が駅に着き、車内にいたほぼ全ての人々がフォームへ降り立った。僕らの眠ったベッドの共有者は皆と共にその流れの中に出てゆき、ここには4人だけが残った。Byeと言う者と言わぬ者。声をかけたかかけずにいたかで分かれる。15分もこの駅に停滞し続けている。その間に4、5人ほどの男女がやってきた。彼らは私たちに右手を差し出し、顔をこちらに向けて何か一言を何度も反復している。
まだ人間が開拓したことのない世界
人の目に触れられたこともなく
手が加えられたこともない
人の体と意識から遠く離れたその場所
我らの暮らす世界にはもはや存在しない
しかし、確実に存在するだろうその土地
稼ぐ者は稼ぎ
稼げぬ者は稼げぬまま
どうか空と地面が爆発し
私のこの眼の気を狂わせ
二度と光の元へと戻れない
闇の中へと引き連れ
一生の痛みの握中に
潰されますよう
薄茶色の布から覗いた
足のない足が
棒切れのように地面を指差す
左手はその体を支え
右手は恵みを待つ器となる
私は首を横に振る
彼の目を見ずに
何も考えずに
窓の外をただ見やる
彼がそこを離れるまで
私もこの眼を動かさない
どうか
あの空とその地面が
爆発し
全てが混ざり合いますように
17th (thu)
プーリ
at Hotel Leo Castle
波が高い。泥のような濁った色をして、遠くから近くへと、小から大へと、立ち上がった波は潮を吹き、折りたたんで平たく倒れ込みながら真っ白な泡と化す。それを岸で眺める人々は、まるで何かの帰りを待っているようだ。
さっきまでクリケットをやっていた青年たちはまた場所を変えて続きをしている。風が気持ちいい。海の近くは波のせいで風圧が強そうだ。けど、その手前にある池のような小さな海は静かに風の揺らぎを映している。子供たちの遊び場。色の黒い小さな小さな子供たちの。
翼を止めた鳥たちは少しの時間だけその場に停滞した。いっぱいに翼を広げたまま、海岸線と平行の距離を保ちながら左右へと旋回する。前にも進まず、後ろにも戻らない。地上からのその高さの中で揺らぎながら、また一回、翼を羽ばたかせる。
8/19 sat
50Rs
ゴールデン・グリーン・レストランにて
朝食、店の中でいい感じの音楽が流れていたので、店を去る直前にレミ姉が店員に曲のタイトルを聞こうとしたら、店の人がCD-Rにコピーしてくれると言った。嬉しくてその時はとても喜んだ。しかしその日の夕食後、お茶を飲みにまたこの店に寄ったらCDを渡してくれた。おいしくお茶を飲み、そのあと店を出ようとすると50Rsを払ってくれと言ってきた。CD-R代だそうだ。予想もしていなかったことだったからびっくりした。街に出るといろんな人が声をかけてきて、何かを売ろうとする。僕らはそんな時、無視をするか、いらないと言う。そしてまったく石ころのように、足に絡みつく草のように、その人を相手する。それと同じような態度をその店の人にとってしまった。本当は金を払うべき行為をしてくれたその人に、タダでその行為を価値づけてしまおうとしてしまった。自分たちの利益以外には何一つ目もくれずに。50Rsの価値はあった。相手がくれた行為のお返しを、声に出して求めただけだというのに、僕はそれをしつこくつきまとう商売人のように見てしまった。このレストランは、客に人なつっこく、まったくがめつさを感じないのだというのに。
25Rs/1日の掃除婦さん@ヴィシュヴァラティー
そしてカーリガートのガイドに最後に払った金は50Rs
悔しい
せっせと働いて1日たったの25Rsの女性を差し置いて
強制ドネーションのエセガイドに50Rs支払うなんて
悔しい
24日
朝7時起き。作戦会議でみっちり約3時間。10時過ぎからGSI(地図が売っていると言う本屋)目指してウォーキング。一応地図通りに歩いてみて、2本目の角を右に曲がって見渡しても、GSIらしき看板は見当たらず、別の道かと思って引き返したところ、チャイ屋を発見。しかも2Rs。いただきました。そしてその後2回ほど別の角を右に曲がっても何もなく、仕方なく前から行ってみたかったサウスパークストリート墓地に行ってみた。” It's opened?”首をかしげる。入ってもいいみたいだ。” How much I have to pay?”首を横に振り、募金箱を指差す。名簿に名前などを書き中に入ると、静かだ。外からはおなじみの人の声や車のクラクションが聞こえてくるが、中は静かだった。広大な土地に所狭しと敷き詰められた墓。歳の若い者も、70まで生きた人もいた。緑が豊かで、道には苔が生い茂り、墓の間から生えた木は垂れ、空を覆い隠すほどだった。なのに、その日は太陽が高く上り、雲もそれを隠さなかったので、葉の隙間から漏れ落ちる光の滴りはとても輝いていた。20代の墓を多く写真に撮り、そして最後、名簿に感想を書き込む際、向かいの人が”キリスト教?”と聞いてきた。ペンダントのメダイを見たらしい。彼もメダイを首から下げていた。そして指を差して、キリストの額縁を見せてもらった。彼の笑顔は素晴らしかった。そしてここを離れた(鉄筋に挟まれた墓があった。ここでも場所を争っているのか。)その後、おやつキオスクで気になるお菓子を発見(パイ生地の)。でも食べてみると中はカレーだった。その後一旦ホテルへ戻り、帰りにまたチャイ屋に寄り一杯。練り直し、今度はマザーハウスの近くの、女子パウロのブックセンターに行ってみよう。家でコピーした本を頼りに道をゆく。意外と遠いな、と思いながらも突き進むと発見。” Book & Media Centre”並びあう建物と比べると出で立ちは綺麗。中も綺麗で静か。本(聖書やキリスト関連)がいっぱい。2階には本のほかにDVD、CD、テープとアクセサリーがあった。アクセサリーを買い込み(シスターと少し会話をし、てか結局支払いは1階だった)、そしてまた帰途につく。ホテルに戻って7時を待つ。
7時というのは、前から行ってみたかったレストラン。メニューを見てびっくり、安い。だから7時までテレビを見て過ごした。ドラえもん、しんちゃん、Hero…。7時になった。外に出ると、あら、いつもの街並みとは思えないような神秘的な雰囲気。晴れた夜の空。街灯の代わりに店々の白い電灯。真新しいホテルやレストランのネオンも混ざり、少しだけいい気持ち。でも排気は同じ。
そしてそこでご飯を食べた。店に入った瞬間に”ハロー”あ、外人の客に慣れてるのかも。また来てみよ、てか品数が多い。全品制覇してみようかな。
その後、すぐ隣のキヨスクで鍵を購入。そこの人はとても気さくで、鍵の値段を何度も言ってくれた。そして” what's your country?””アミ・ジャパニ”と答えると”日本か、いい国だね”そして”タタ”といって別れると” come again?”と言ってきて、僕は頷いた。
バス賃、レストラン代、ぼられそうになりました。
9月2日、食事には、この子には絶対ついておかなくてはいけない、という子を初めて知った。
そして9月3日日曜日、たくさんのボランティアさんが来た。だけど、僕は朝MHに行かずにナボジボンに来てしまった。この日を抜かせばもう直接行く事はないだろうから。MHに行ってチャイのコップを洗うのを少しだけめんどくさがっていたから。そしてみんなをMHからカダムタラまで連れてくるのめんどくさかったから。”めんどうくさいことをコツコツして(自分のしたいことを抑えて)人を少しでも幸せに(安らげるように)する”と頭に響いていたのに。
★水は口をつけずに飲む。
★バスは値段を先に言わずに行き先だけをまず言う。
カーリガートに6、7年通っているという人のことを知って尋ねてみた。実際まだ1年みたい。”結局何が聞きたいの?”と返されてしまった。ただ話をしてみたい、といってもその話に要旨を持たせるべきだったと反省。
あと日曜日、ナボジボンにて、昼食のお祈りをする時、長期ボランティアの島本さんは”お祈りがあるので…”と。そして僕は”立ってください”と。すると横で”嫌です”の声が。別の声に対する返事だったのかもしれないが気になった。やはりいきなり命令形ではなく、”〜のために〜してください”と理由を先に持っていくべきだった。
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