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寮と同敷地にあった藤原頼長墓

↑江戸時代に描かれた保元・平治の乱合戦図屏風絵(wiki)
 この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2023の28日目の記事です。

 前回、寮の敷地は保元の乱の舞台だったことを記載した。平清盛や源義朝が東竹屋町にあった白河北殿で来て火をつけていった。負けた側の墓というか塚がこの地にあったことを記載する。

藤原頼長の墓

 熊野寮と同じ敷地に、保元の乱に関する史蹟が白河北殿跡の石碑以外にもうひとつあった。正確には、昔はあったが今はもうない。京都市のサイトにも記載がある。

相国寺に移設された副碑と墓 京都市のサイト

 藤原頼長は崇徳上皇を担ぎ上げて負けた側で、猫好きの男だ。

不穏な京都市公式

 詳細は後述するが、寮の敷地には紡績工場が1888年に建てられていた。合併買収を経て絹糸紡績という会社になり、1907年の拡張工事に伴い相国寺に移築された。同地には、掘り出された際の由来も記載された副碑と一緒にある。京都市のサイトでの解説引用は立場が逆の2種類あり、掘り出しちゃった絹糸紡績の作った副碑(1907年)と、掘り起こした企業にキレていらっしゃる碓井小三郎著作の京都坊目誌(1915年)だ。両者の主張の意訳を並べてみよう。


掘り出しちゃった絹糸紡績
「塚を発掘したが何も出なかった。頼長は奈良坂で亡くなりその地に葬られた。だから墓ではなく頼長をまつる社だったのだろう。荒廃して塔だけ残っていた。場所を確保して法事もした。」


絹糸紡績にブチ切れている碓井小三郎さん
「敷地が手狭になったからって無情にも掘り出すものかね。石棺が新しく見つかってるし。古跡保存が金儲けのために犯された。事業発達はいいことだけど史蹟が失われるのは嘆くべきだ。」


 この本は平安遷都千百年紀念祭で、後の大正天皇に披露されている。

拾遺都名所図会

 上記資料は日文研(国際日本文化研究センター)のサイトに画像と文字の両方が丁寧に公開されている。江戸時代の1787年に、京都の俳人秋里籬島が作られた。1156年の保元の乱から600年以上経過している。

江戸時代における塚の説明 巻之二 左青龍尾 17頁 日文研サイトより

さくら づか聖護しやうご ゐんもり の西南二町許にあり、是則悪左府より ながの社地なり。塚上に桜を植ければ、世の人桜塚と呼ぶ、 実は左府塚なり。一年霊験ありとて都下の貴賎群をなして詣す、今田圃の間に纔に遺るといへども、神威は新にして古 今にかはらずと知られたり〕

翻刻文 (日文研サイトより)

chatGPTに現代っぽくしてもらおう。

桜塚は、聖護院の森の西南に二町ほどの距離にある場所で、これは宇治悪左府頼長の社地(神社の土地)です。その塚の上に桜が植えられているため、人々はそれを桜塚と呼んでいますが、実際には左府の塚です。毎年、その霊験(神秘的な力)があるとされ、京都の貴族から庶民までが集まって参拝します。今は田んぼの間にほんの少し残っているだけですが、その神威は昔も今も変わらず、広く知られています。

翻刻文をchatGPTで現代っぽくしたもの

 江戸時代は人気スポットだったようだ。

より後年の資料

 竹村の昭和京都名所図会(1981年)にもこうある。

 藤原頼長桜塚跡は熊野神社の西南、東竹屋町東部の地とつたえ、現在、京大学生の寄宿舎、熊野寮構内の東南隅に当る。
 むかし、ここには佐府(左大臣)藤原頼長の塚があって、佐府塚がなまって桜塚と称したという。塚上には小五輪石塔と桜の木があり、また稲荷神を祀った小祠があったが、明治二十年(一八八七)絹糸紡績会社の工場拡張によって塚は破壊され、石塔は相国寺内総墓地に移してしまった。

昭和京都名所図会 2 (洛東 下)
著:竹村俊則 駸々堂出版(1981.10)p. 201

 著者の竹村さんは拾遺都名所図会に魅かれて本を出すような方なので、内容はほぼ変わらない。ただ、この方の文章にも若干の怒りがにじんでいる。
 京都市の簡素なサイトでも、碓井小三郎の主張のほうが先に目に入る構図で、絹糸紡績側の主張である副碑の大意はやたらとちっさいリンクになっている。「大事な史蹟を一企業が勝手に掘り出しやがって」というサイト担当者の執念すら感じる。100年以上経過してるのに。
 

『京都坊目誌』が納められた京都業書 京都府総合資料館デジタル展示室

まとめ

 ちゃんと移築したならいいのでは?と最初は思ったが、破壊や遺骨の有無は本質でなく、敷地内だからって皆が大事に思うものを相談や対話もなく勝手にいじることで、信頼関係が損なわれるのがよろしくない。

 前述したような遺跡調査は、色々な方々への説明や調整が大変である。信頼関係なく「掘っても何も出てこなかった」と主張しても受け入れられがたいものかもしれない。なにごとも、誰が大事に思っているか想像することと、対話のプロセスが大事だ。

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