《精神0》生き様を撮影するということ

「観察映画」初体験でした。
それは一言で言えば『ガチンコ勝負』
一般の映画は、何を見せるかをしっかりと練って提供する「プロレス」と同じエンターテインメント。
そしてこの映画は、リングとルールだけ与えられる中で闘う「総合格闘技」のようだ。
脚本が無く何が起こるか予想がつかない、だから監督ですらありのままを受けとめるだけではないだろうか。

前半は山本医師の素晴らしい精神科医としての姿が表現されている。
「病気ではなくて人を看る」
「本人の話に耳を傾ける」
「人薬(ひとぐすり)」
それらのモットーを表している小道具があった。
山本医師は事務用の「係長席」のような椅子に座られているが、患者はまるで「部長席」のようなどっしりと座れそうな椅子なのだ。決してパイプ椅子ではない。山本医師がワンダウン下がったポジションで、患者の話を傾聴していることが分かる。引退するには惜し過ぎるとやりとりから十二分に伝わってくる。

そして後半に入ると奥様が映り込んでくる。前作「精神」を観た人なら尚更感じるだろう違和感。山本医師を支え続けた姿から、先に「人生を降り始めた姿」が映される。そしてその妻を支えることに残りの人生を使うことを選んだ山本医師の覚悟がテーマの一つであることに気づくまでそう時間はかからない。

素晴らしい医師から一人の夫になる。
働く男ならあり得る姿だと、頭の片隅に入れておきたい。
そしてその時に山本昌知氏のように振る舞う備えはしておきたいと思う。

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