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よさこい:人生の半分を費やす価値のある趣味① ~初めの一歩~

みなさんも、様々な趣味をお持ちではないかと思いますが、長く続く人もいればすぐにやめてしまう人もいますよね。
趣味だから、それは自由です。

そんな中、自分が20年も続けている「よさこい」について話したいと思います。
その前に、自分の趣味の価値観を書いてみます。

多趣味&器用貧乏

個人的感想ですが、こういう人はけっこう多いんだろうなと思っています。
多趣味と器用貧乏は比例すると思うんですよね。もちろん、多趣味であることはいいことだと思ってます。

どういうことかというと、何かをあらたに始めたとき、器用貧乏の人は、ある一定のレベルまでは苦労や挫折をせずにできてしまう。それも人より早いペースで。
そうなると、最初は楽しいし、スポーツや競技性のあるものは、優位に立てる場合もあります。しかし、しばらくすると周りが努力して、成長してきますよね。そうすると、自分の優位性が失われ、さらに上達の壁にぶつかり、うまくいかなくなります。ここで、粘り強く努力し、少しずつでも上達していけばよいのですが、スタートダッシュがよかった分、壁にぶつかったときに、そこから努力をしようという気になれなかったりします。
そこからの努力って、反復練習になるんですよね。同じような練習を何度も何度も繰り返し行う必要があります。
それでも思い通りにいかなかったり、勝てなかったり…
最初がトントン拍子に進んでしまった分、それができないんです…
自分はこうして、様々なものに手を出してきました。

言っておきますが、多趣味が悪いと言っているのではないですよ。
多趣味でも、それぞれを極めたり、楽しんでいる人はいっぱいいます。
でも、僕みたいに途中でやめてしまって、道具の墓場ができてしまうのはよくないですね。

過去の趣味

そんな僕が、過去にやった趣味は

・ドラム
・ギター
・ボディーボード
・テニス
・スキー
・ゴルフ
・スノーボード
・ダーツ
・ビリヤード
・ボウリング
・サバイバルゲーム
・釣り(多種)
・サックス
・フットサル          
         etc

これが多いのかはわからないですが、まあ少なくはないですよね(笑)
趣味といっても、結構マジで、遊びって感覚ではやってなかったです。
この中で、完全にやめてしまったものは半分以上。
頻度はともかく、今でも続いているものもあります。
だから何か問題があるか?というと、多趣味なこと自体は、まったくないです。ただ…
問題があるとすれば…
それぞれに道具が必要で、それなりにそろえてしまうという点ですかね。
もちろん、無駄にはなっていないと思いますよ。経験を積むことができたし、今のメインの趣味である「よさこい」にもつながっています。
でも、やっぱり、もうちょっと極めておけばよかったなと思いますね。

「よさこい」に出会って!

様々な趣味をやってきましたが、実はそこには書かなかった趣味で

「よさこい」

があります。
これについて、どうして上の趣味の中には入れていないか。
それは、唯一20年も続いている趣味だからです。
言ってしまえばライフワークです。
飽きっぽい自分が20年も続けいるというのは自分で考えても不思議なんです。上に書いた趣味の中には、はよさこいを始めてからの趣味もあります。でも、そっちを選ばずに、ずっとよさこいは続けています。
そもそもよさこいって何?
っていう話ですが、これについては説明しだすと、それこそ長くなるので、また別の機会にしますね。

僕のよさこいとの出会いは23年前にさかのぼります。
何気なくテレビを見ていたら、北海道の「YOSAKOIソーラン祭り」の中継が映し出されていました。生中継だったのかどうかは覚えていませんが、なんだかよくわからない人たちが、なんだかよくわかんらない踊りをやってる。そんな印象だったとおもいます。
ダンスなら高校時代にL・Lブラザーズとか流行っていたので知っているし、エアロビクスや日本舞踊なら、わかります。
当時はよさこいという言葉自体、初めて聞いた言葉でした。
画面越しに見る「YOSAKOIソーラン祭り」は、踊っている人々がとんでもない笑顔で楽しそうに踊っていました。それも若い子ではなく、いい大人たち。
女性だけでなく男性も多数。
様々な衣装を着て、なんだかよくわからない曲で、手に何か持って踊っている。そんな映像が僕の目に飛び込んできました。
それを見て、かっこいいとかキレイとかいう感想はなく、とにかく

「楽しそう!!!、自分もやりたい」

ただただ、こんな風に思ったのを今でも覚えています。
何に一番惹かれたとかではなく、集団でこんなに楽しそうなことができるなんて!自分も、ぜひこれをやりたい!
そう強く思いました。

一年、忘れられていた…

僕が実際によさこいを始めたのは、テレビで「YOSAKOIソーラン祭り」を見てから一年ぐらいあとなんです。
当時勤めていたスポーツクラブのエアロビの先生(僕の師匠)がよさこいチームを作るという話を聞いて、
すぐに
「僕も前からやりたいと思っていたので、やるならぜひ教えてください」
と、意気揚々に伝えました。
先生も
「わかった、その時は必ず誘うね!」
と言ってくれました。
が…。

実際に始めたのはそこから一年あとのこと。
でも、実は先生は僕がやりたいことを伝えた年に、すでに始めていたらしいんです(笑)
さらに、イベントにも出てたんです。
そんなことはつゆ知らず…。
で、そのことを知ったのは先生の知り合いのインストラクターさんから聞いたんですよ。
すぐに先生に言いましたね
「チーム作ったんですよね?やりたいです」
「いいよ~、詳しくは○○さんから聞いといて~」
みたいな。
まあ、完全に忘れられてたみたいです(笑)

こうしてチームに入ったのが、7月の中旬。チームの名前は
「BIG WAVE」
由来はよくわかりません(笑)
驚くことに、その年に「にっぽんど真ん中まつり」に参加することが決まっていたらしく、僕は一か月で振り付けやら衣装づくりやらを間に合わせ、日曜日だけどまつりに出ました。

初のどまつりへ

今でこそ、盛大なお祭りへと発展したにっぽんど真ん中まつり」ですが、当時はもう少し小規模でした。54チームとか、それぐらいだったような。
でも、パレードはあったような気がします。
どまつりも地方車(音響車)は自チームで用意する形式で、最近では、2tor4tクラスのトラックで作成し装飾もしっかり作られていますが、当時はリヤカーとか普通車も屋根にスピーカー、軽トラックなんかもあった気がします。
わがチームも軽トラでした。そこに家庭用のオーディオを置いて、これまた家庭用の発電機を載せて、さらに家庭用の大きめのスピーカーを積んで、地方車が出来上がっていたように思います。装飾なんてありませんよ。
今では考えられません‼
そして、いざどまつりのメインパレード、大津通パレードに臨んだわけですが…。

一本目を踊り始めてすぐに

トラブル発生

音が全くでないのです。

その前までは出てたらしいです。
これにはさすがに、どうすることもできませんでした。
そりゃあ、そうですよね。家庭用シリーズでは、さすがにね…。

結局、大津通パレードをただただ歩くという事態。
今みたいに、歌があるオリジナルの曲を使っていたのではなく、歌のない既存の曲(確か柳生外伝だったような)を使っていたので、歌おうにも歌がない(笑)さらに、MCなんてものはそもそもいないし、マイクもない(笑)
歩くしかないじゃんって感じですよね~

これが僕のデビューでした。
世間的に見ても、かなり衝撃的なほうではないかと思います。
まあ、その経験のおかげで、現在の自分があるのだと思います。
(そのあたりは別で詳しく書きます)

実は、この次の年も、審査演舞で音が出ずに、審査員の前を歩くという事態がありました。
2年連続、音が出ないという事件が…。
もう、それがトラウマで、次の年からはパレードに申し込まなかったような気がします。

そんな苦すぎる経験を経て、現在の僕のよさこい活動があります。
そのあたりは次回書きたいと思います。
今回はこの辺で締めさせていただきますね。では、また次回!

次回は、20年続いたよさこいの魅力と、チーム代表になった話をしようと思います!

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