SAIという証明

5年ぶりのSAIが終わった。
結成25周年、メジャーデビュー20周年を記念した夢のロックフェス。
これまでのACIDMANの活動の結晶がさいたまスーパーアリーナで2日間、世界で一番輝いていた。
花火のように綺麗で、興奮して、一瞬で儚く終わってしまったけれど、最初から最後までACIDMANらしさしか無かった。

旅は準備している時が一番楽しかったりする。確かに旅の最中も心弾む瞬間しかないのだけれど、SAIの開催発表、出演者、グッズなどの詳細が発表される度に心躍らせこの2日間を想像することが何より楽しかった。
本番が始まってしまえば、必ず終わってしまう、そんな当たり前の寂しさが少しずつ膨らんでいく中、あの場所にいたバンド、そしてオーディエンスは全てを燃やし尽くした気がする。

出演したバンドの多くが20代から聞いているバンドばかり。ライブを見ながら、当時のことを反芻することもあった。

高校の時Dragon AshのVIVA LA REVOLUTIONを聞いてミクスチャーロックがこんなにカッコいいなんて知らなくてクラスメイトと教室でぶち上がっていたし、

生まれて初めてライブというものをMr.Childrenで経験したあの日、

自分で初めて“ライブハウス”に行って初めて対バンも経験したACIDMANのCinema Vol.2、

アジカンのソルファ買って何度もライブハウスに通いまくっていた大学生時代

まだスリーピースで、ライブで全然MCもしないリニアリリース時のストレイテナー

地元の300人くらいしか入らないライブハウスで初めて見た10-FEET

モッシュ、ダイブが超当たり前で常に生きるか死ぬかのライブが戦場だったELLEGARDEN

20代見ていた景色がずっと頭の片隅で流れていた。

みんな当時はバチバチだったと笑いながら話すけど、決して孤独だったわけじゃ無い。

当時アジカンのHPにあったゴッチの日記は毎日食い入るように見ていた。その中で“繋ぐ”という言葉が何度も目に入った。それを有言実行するようにナノムゲンをやり、酔杯という対バンツアーで積極的に若手とやり合っていたし、どのバンドもそれぞれの形で戦っていたけど、それは共闘にも近い形だったように思える。それがいろんな形で身を結び、きっとSAIもその一つだったと思う。

ずっと『繋がって』いたんだ。

しのぎを削ったあの攻防戦 
今なお続くここは最前線

kjの言葉を借りるとSAIはまさしくこれだった。

あんまり〇〇世代と括るのはよくないかもしれない。でもSAIや京都大作戦のように次に繋がる大切な役割を担っているのも事実。

どんなに世界のトレンドや潮流から置き去りにされようとも、ロックバンドは生き物だから、最高にカッコよくて、あまりに儚くて美しいんだ。

ACIDMANが繋いだSAIの2日間、きっと自分がこの先の人生で走馬灯という経験をすることがあるなら、きっと一瞬よぎっていく1ページなんだと思う。

何度か言っているのだけど、音楽をさらにのめり込ませてくれたバンドは数多くいるし、本当に感謝してる。でも人生とか生きることの意味まで含めて価値観を変えられたバンドはACIDMANしかいない。30代になって好きになったUVERworldやSUPER BEAVERはACIDMANがいなかったら好きになってなかったかもしれない。
生きることを歌うバンドに惹かれるのはACIDMANがその原体験だからなのだろう。

ACIDMANが歩んできた道のりがSAIだったし、あの場所にいてくれた人達、会場には来れなくてもSAIを想ってくれた人たちがいたことが全て。

あなたが、ACIDMANがACIDMANであることの“ある証明”だと証明したんだ。

そして、これからも証明し続けよう。ACIDMANが最高のロックバンドの一つだということを。

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