堂々巡り

しばらくお得意の自問自答の日々を過ごしてみていろいろ考えてみた。
一言で言えば、我慢の日々を過ごさないといけない閉塞感が限界にきていたんだろうなぁと思う。
昔、(時々今でもだけど)地元の友達は物書きの仕事の方が向いてると言ってくれた。確かに物書きの職業に就きたいと10代の時は思っていた。ただ、それを生業にするにはセンスどころか知識すらあまりにも圧倒的に足りないし、インプットする努力も足りない現実もよく分かっていた。
大好きになったロックミュージックでも知れば知るほどその世界の深さを痛感したし、余計に物書きには慣れないことを思い知らされた。
ただ、どこかで自分のアウトプットを表現しようと思ったから、頭の中と指先を接続させて時にはライブレポを書いたりしてきた。

10代の頃、稚拙な物書きに執着していたのは誰かに評価されることよりも頭の中に浮かんだイメージ、言葉や物語を繋ぐ台詞や描写を一刻も早く目の前のノートに書き落とすことへの焦燥感に駆られていたんだと思う。今書いておかないとその言葉とはもう二度出会うことがないもしれない。今しかない、そんな感情だけでペンを走らせていた気がする。
それを良く言えば、初期衝動と言えるのかもしれない。
大人になってその初期衝動にはプライドがぶら下がるようになった。それが初期衝動の感情に鍵をかけるようになったのかもしれない。そうやって蓋をしてきた感情がコップの表面張力に耐えられなくなったように、溢れて、暴れ出して、喚き散らして…。

今繋がっている人達はみんな何かに熱中してる。
音楽、スポーツ、映画、表現活動。刺激を受けたり、羨ましいと思ったり。愛おしいと思うことも多い。そう思える人達を大切にできたらと思うし、自分に対して興味のない人を無理に追いかけたり振り向かせるようなことは、あまり健全じゃないんだろうなとも思った。

スプーン一杯のプライドよりも、言葉を紡ぐことへの純粋な欲望にはもう少し素直になった方がいいのかもなぁと堂々巡りしていた。

どういう形になるか分からないけど、自分なりにアウトプットしたいと思った時の『表現』にはちゃんと向き合おうと思った次第。

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