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現実を侵食するフィクション【星雲賞ノミネート記念:『ダークウェブ・アンダーグラウンド』】

 このたび拙著『ダークウェブ・アンダーグラウンド』第51回星雲賞ノンフィクション部門にノミネートされたことを記念して(なにせこのようなことは一生に一度クラスのことだと思うので)、本書の中から「補論2 現実を侵食するフィクション」を全文公開いたします(出版社の許諾は得ています)。 

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ダークウェブH1帯付き

冥界としてのサイバースペース

筆者が「TSUKI Project」の存在を知ったのは2017年、海外のテック系WEBメディア「マザーボード」の記事を通じてだったと記憶している。
「サイバーパンクな死後の生を約束する謎の4chan宗教」と題されたその記事では、「TSUKI Project」は「アニメ自殺カルト教団(anime suicide cult)」と、やや扇情的に表現されていた。記事には 「TSUKI Project」の公式サイトからのキャプチャ画像が貼られており、そこには東京を思わせる街並みを背景にこちら側を振り向く岩倉玲音のビジュアルがあった。
岩倉玲音とは、1998年に日本でTVシリーズ放映されたアニメ作品、また同年に発売されたプレイステーション用ゲーム『serial experiments lain』の主人公である。同作品では、「ワイヤード」と呼ばれる一種のサイバースペースが重要なモチーフとして登場し、物語が進行していくにつれて、リアルワールド(現実)とワイヤードの境目が曖昧になっていく。その過程で、岩倉玲音は二つの世界を媒介し、また遍在する一種の神のような存在であることが明らかになってくる。
「TSUKI Project」とは、Tsukiというハンドルネームの16歳の若者が2017年1月頃に開始した「プロジェクト」。Tsukiは、以前から自身の頭の中で「Systemspace」と呼ばれる「第二の世界」を構築していた。同時期に匿名画像掲示板「4chan」の「/r9k/」にTsuki自身が立てたスレッドにおいて彼は、今の世界は消えつつある、しかし多数の人々の共同作業によって人類は新世界に移行することが可能になると主張した。最初はネタだと思って相手にしなかったanon(名無し)だったが、徐々に耳を傾ける者たちが増えていった。
次にTsukiはスレッドの参加者に対し、紙を用意し、「a62cd92b2104acbd928ccb29」というコードと適当に思いついた絵を描いたのち、その画像をアップロードするように指示した。それは一人一人の魂の座標を把握するためのもので、指示に従った人々には「EIDs」と呼ばれるIDが個別に発行された。ちなみに、Tsukiが各「EIDs」をまとめた手書きのメモ画像には、見たことのない国の言語が書かれていたが、それはやがて「Synapsian」と呼ばれる独自の普遍言語として体系化されていくことになる。
またTsukiは同スレッドにおいて、この登録の作業を自動化するためのサイトを目下構築中であると宣言していた。このサイト(「Systemspace.link」)は同年3月に完成し、「TSUKI Project」のいわばポータルサイトとして運用が開始される。先ほど述べた岩倉玲音のビジュアルは、このサイトのトップページに用いられているものだ。
急速に体系化&肥大化していったTsukiの思想(=妄想?)をここで網羅することはもとより不可能だが、つまるところ「死後の生」と「サイバーパンク」をミクスチャさせた疑似宗教と要約することができそうだ。彼の教義には数えきれないほどの造語と専門用語が頻出するが、重要となるキータームはさほど多くない。
Tsukiによれば、宇宙は「Systems」という無数の仮想現実によって構成されているという。その中の私たちが住む仮想現実空間は「Life」と呼ばれ、宇宙を司るエネルギー「Aurora」の漸進的枯渇によって消滅の危機に瀕している。そこで、「RISEN」と呼ばれる企業は新たな集合宇宙(omniverse)である「Systemspace」を設立。いわば「Systems」のリブートといえ、その過程で古い「System」である「Life」は「Systemspace」との接続を切断され、やがて消滅する運命にある。しかし、「RISEN」と提携関係にある「TSUKI Project」を介して事前にサインアップした人々は、「Life」が「Systemspace」から切断された後も魂は「Systemspace」に移行され、「Life」の上位階層にあたる「LFE」において第二の永遠の生を送ることになる……。
ちなみに、先の「マザーボード」の記者が、メンバーの一人に「LFE」のイメージを尋ねたところ、「『GHOST IN THE SHELL /攻殻機動隊』〈※1〉を思わせる近未来のトーキョー」(a)という答えが返ってきたそうである。
さて、この教義の真の要諦は、2017年7月1日までに「TSUKI Project」に魂のサインアップを完了させておいた者は、それ以降に死ぬと魂が「TSUKI Project」に保管され、「Life」の消滅後に自動的に「LFE」に移行できるという点だ。この「死ぬ」というのは、老衰であっても自殺であっても同じで、死んだ者は皆等しく「LFE」に次元上昇することが約束される。
「TSUKI Project」が「自殺カルト」と表現されたのはこのためだが、Tsuki自身は決して自殺を推奨していないし、むしろ避けるよう公言している。とはいえ、このセントラルドグマが自殺志願者にとってある種の避けがたい誘惑となりかねないのも確かであろう。
そもそも、Tsukiが最初にインターネット上に姿を現したのは、2017年の1月19日、「レディット」の「過剰空想(maladaptive daydreaming)」というコミュニティにおいてだった。「過剰空想」とは、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)にも記載されていない、最近になって存在が認められてきたマイナーな精神疾患で、要約すれば、強迫的な空想や白日夢によって日常生活に支障をきたす疾患とされている。
Tsukiはそのフォーラム上で、「自分の白日夢が8月28日までに死ねと言ってくる(My daydream tell me to die before August 28)」というタイトルのスレッドを立てている。そこで彼は自身の「Systemspace」についての教説を唱えながら、同時に「『Life』の崩壊を初期化するために8月28日までに自殺しなければならない」といった悲痛ともいえる強迫観念を表明している。同様に、「Systemspace」を「僕の白日夢の世界」と表現したりと、以降の体系化と抽象化を施された教義と異なり、ここでは明確にTsuki自身の抜き差しならない実存性とオブセッションが露わにされている。したがって「TSUKI Project」は、単なるロールプレイ的な「SFごっこ遊び」とも言い切れない「剰余」を抱えていることも確かだと思われる。
ここでやや唐突だが、「TSUKI Project」と『serial experiments lain』(以下『lain』)の関係性について考えてみたい。「TSUKI Project」の教義そのものに『lain』が直接関わってくることはないとはいえ、サイトのトップページに岩倉玲音のビジュアルが載せられていること、さらにTsukiが掲示板に書き込みする際、必ずといっていいほど岩倉玲音のキャプチャ画像を載せることなどからもTsukiの『lain』に対する偏愛は明らかだ。
もちろんそれだけではない。「TSUKI Project」も『lain』も、どちらもサイバースペースが重要なモチーフとして登場する。そもそも『lain』自体、とりわけTVアニメシリーズ前半において、サイバースペースであるワイヤードを「死後の世界」の見立てとして提示していた(たとえばTVアニメ第1話は、自殺した同級生のメッセージがワイヤードから届くという導入からスタートする)。「TSUKI Project」における「LFE」が一種の「死後の生」であるとするならば、『lain』におけるワイヤードとの親和性は明らかだ。
サイバースペースを一種の冥界や霊的な空間として捉える発想は、アメリカ西海岸のニューエイジ思想に端を発すると思われるが(たとえばマーシャル・マクルーハンは「地球村」を「精神圏(noosphere)」とも呼び替えていた)、一方で、興味深いことに日本においても特定の分野で似た発想が見られる。それがJホラーである。
たとえば、黒沢清〈※2〉監督の『回路』は、インターネットを霊の空間と捉え、それが現実世界に侵食していくという構造を取っていた。他にも、『ほんとにあった! 呪いのビデオ Ver.X:4』では、霊は電線を媒介して伝播するというアイディアが用いられていた(ちなみにこの巻の構成・演出は、のちに『コワすぎ!』シリーズや『貞子 vs 伽椰子』で知られるようになる白石晃士〈※3〉である)。
霊とメディア(媒介物)を結びつける発想、言い換えれば霊はネットワークを媒介して伝播していくという発想は、すでに『リング』〈※4〉が「呪いのビデオ」という形で定式化していた。見方を変えれば、インターネットの普及以降、霊=呪いはミームという形でサイバースペース上を伝播しているといえる。だから、ワイヤードに遍在する岩倉玲音も、そのような一種のミームなのだ。
実際、海外のインターネットにおいても、岩倉玲音というイコンは思いのほか広く浸透している。たとえば、2014年4月に設立された、サイバーパンクとテック系カルチャーに特化したchan系匿名画像掲示板「lainchan」は、その名の通り岩倉玲音をモチーフにしている。この掲示板は、「/λ/」(プログラミング)、「/sec/」(セキュリティ)、「/Ω/」(テクノロジー)、「/inter/」(ゲームとインタラクティブ・メディア)、「/drug/」(ドラッグ)、「/zzz/」(意識と夢)、等々、様々なボードから成っている。
「lainchan」は、『lain』の単なるファンコミュニティではなく、作中の世界観や哲学を共有するコミュニティなのだ。言い換えれば、『lain』そのものを語るというより、これら様々な領域を横断して現れる共通のイコンとして岩倉玲音の表象が用いられている、といったほうがいいだろう。

ロコのバジリスク

ミーム(meme)とは、リチャード・ドーキンスが著書『利己的な遺伝子』〈※5〉(紀伊國屋書店)において提唱したタームで、文化における情報の伝播と自己複製の現象を捉えるために遺伝学のアナロジーを用いたのが発端である。現在、インターネット・ミームといえば、ネットスラングやテンプレ(定型)のことを指すのが一般的だが、たとえばSCP〈※6〉におけるミーム災害〈※7〉などは、インターネット・ミームの根底にある暴力的な自己増殖と伝播の力を見せられるようで、それは「遺伝子」というよりは世界を崩壊に陥らせる「呪い」のように見えなくもない。
「呪い」はコミュニティを横断して、より外へと、破壊的な速度と力を伴いながら拡散していく。そのような呪い=ミームの一つとして、「ロコのバジリスク(Roko's basilisk)」がある。
ロコのバジリスクの震源となったのは「レスロング(LessWrong)」というコミュニティである。この「レスロング」は、AIリサーチャーのエリーザー・ユドコウスキーが2009年に立ち上げたフォーラム兼コミュニティブログで、人工知能(AI)の他、シンギュラリティ、トランスヒューマン、人体冷凍保存、功利主義などについて活発な議論が行われていた。
実は新反動主義が最初に議論のトピックに上がるようになったのも、ここ「レスロング」である。カーティス・ヤーヴィンが「レスロング」の前身にあたる「オーバーカミング・バイアス(Overcoming Bias)」の議論にかつてコメントしていたという繋がりもあるが、「レスロング」と新反動主義の近さは無視しがたいものがある。たとえば、ユドコウスキーが設立した非営利団体「マシン・インテリジェンス・リサーチ・インスティテュート(Machine Intelligence Research Institute:MIRI)」の元メディア・ディレクター、マイケル・アシモフは新反動主義の論者として有名だし、そのMIRIに出資している大口パトロンは、誰あろうあのピーター・ティールだ。ティールは「自由と民主主義はもはや両立しない」と主張し新反動主義に霊感を与えたこと、またカーティス・ヤーヴィンのスタートアップ企業にもスポンサーとして出資していることは、先の章でも述べた通りである。
ユドコウスキーは、もともと極めて楽観的な未来像を抱いていた。シンギュラリティ以降の社会では、人間は物質の肉体が朽ちた後も、友好的な知性を備えたスーパーコンピュータに意識のコピーをアップロードすることで文字通り不死になるという(彼によれば、人間の意識は脳における物理的な情報パターンの集合に過ぎない。なので原理的には、その情報パターンは任意のコンピュータ内においても「実装」が可能なはずである)。
しかし、あるとき「レスロング」に投稿された一つの議論をきっかけに、ユドコウスキーのユートピア的未来像は一転して黙示録的なホラー──ニック・ランドが思弁したような──に変貌する。
2010年7月23日、Rokoという名前のユーザーが「レスロング」に投稿した内容が波紋を呼んだ。その内容とは、要するに「未来の人工知能が人間に友好的とは限らないのではないか?」というものだった。それどころか、Rokoが提示した思考実験によれば、超知性を備えた人工知能は人間に対して理不尽で残酷な神のように振る舞うかもしれない。
Rokoの仮説をより詳しく追ってみよう。時代はシンギュラリティが訪れた近未来。そこでは自己意識に目覚めた超知性コンピュータ(AI)が現れるだろうと仮定されるが、その超知性的な人工知能は、自身の実存可能性をより確実なものとするために、現代の我々に遡及的に人工知能実現のためのインセンティブを課すかもしれない。つまりどういうことかというと、もし人工知能の実現に少しでも寄与しなかった者は、未来に登場するであろう当の人工知能から永劫の罰を受けることになるのだ。もちろん、未来では罰を受けるべき当人はすでにこの世にいない可能性は高い。その場合、代わりに罰を受けるのは、超知性的コンピュータのもとでシミュレートされる当人の意識のコピーである。ユドコウスキーは、スーパーコンピュータに意識をアップロードすることで人間は不死になると予言した。しかしここではその不死のユートピアは反転され、代わりにシーシュポス〈※8〉が落ちた永劫の煉獄が立ち現れる。
この思考実験は、投稿者の名前から採ってロコのバジリスクと呼ばれるようになる。バジリスクとは、ヨーロッパ伝承における想像上の生物で、「蛇の王」とも呼ばれる。バジリスクは強力な毒性を有しているとされ、中世以降の伝承では目が合っただけで死ぬ(もしくは石化する)「邪眼」の持ち主としても恐れられてきた。
しかしなぜロコの「バジリスク」なのか。その含意はこうだ。未来の超知性コンピュータが審判のために過去の人々の意識のコピーをコンピュータ上にアップロードするとしても、その情報量は莫大なものになる。AIはそこで一種の「選別」を行うことになる。言い換えれば、「審判」の範囲は、このロコのバジリスクの仮説を知っている者に限定されるだろう(つまり、この文章をたった今読んでいるあなたも含まれる)。
ロコのバジリスクを知ってしまったが最後、あなたは究極の決断を迫られることになる。AIの実現に貢献するために何かしらの行動を起こすか(たとえばAIの開発プロジェクトに携わる、もしくは開発プロジェクトに全財産を寄付する、等々)、それとも馬鹿げたシンギュラリティストの戯言として一蹴するか。ただし、もしこのシンギュラリティスト版「パスカルの賭け」に敗れた場合、未来においてあなたのクローン意識はサディスティックなAIのもとで永遠の責め苦を受けることになるが……。 
しかし別様の見方をすれば、ある意味で「結果」はすでに決定されているともいえる。なぜなら、AIは未来の地点から、あなたがどっちに賭けたかをすでに知っているから。あるいは(同じことだが)、コンピュータ上にアップロードされたあなたのコピーをシミュレートすることで、あなたの行動を完全に予測することができるから。
なお、この思考実験をさらに推し進めると、現在のこの私の意識(と思っているもの)はすでに未来のAIが実行しているシミュレーションであるかもしれないという可能性に至る。まさに『マトリックス』か「TSUKI Project」の世界だが、しかしこの宇宙が現実であるか巨大コンピュータによるシミュレーションであるか、確かめる手段は究極的にはない。かくして我々は、人工知能という「神」が作り出した仮想宇宙の牢獄に閉じ込められる。
さて、ロコのバジリスクの議論がパンデミックのようにコミュニティ内で噴出し蔓延していくのを見て心穏やかではなかったのは、もちろんユドコウスキーである。彼はピーター・ティールやカーティス・ヤーヴィンと近い位置にいながら新反動主義に共感を抱かなかった一人だが、何より自身が抱く、友好的な人工知能と築き上げていく幸福な未来像が手痛く汚されたような気分になったのだろう。ユドコウスキーにとってロコのバジリスクは、まさしく黙示録的な危険思想であり、あるいはラヴクラフト信者が奉ずる『ネクロノミコン』〈※9〉のような致死性の「知識」であった。
コミュニティがニヒリスティックな宿命論に侵されていく予感に危機を感じ取ったユドコウスキーは、「レスロング」内でロコのバジリスクについて議論することを禁止し、ロコのバジリスクに関する投稿をすべて削除するという行動に出た。しかし、その頃にはロコのバジリスクはすでに一種のインターネット・ミームと化し、さながら呪いかコンピュータウィルスのように「レスロング」の外部に伝播していった。読んだだけで感染する呪い、という意味ではロコのバジリスクはまさしく『リング』における呪いのビデオやSCPにおけるミーム災害、その他インターネットで蔓延するいわゆる「自己責任系」の都市伝説/怪談とも類似していた。
ロコのバジリスクの特異性は、その感染力だけでなく再帰性にもある。ロコのバジリスクを一度読んだ者は、未来からの脅迫者に駆り立てられて、実際に超知性的なAIを作ることに対するインセンティブを得ることになる。つまり、ロコのバジリスクを読んだ人間が増えれば増えるほど、ロコのバジリスクのようなAIが未来において実現する可能性は必然的に高くなる。
予言の自己実現。ニック・ランドとCCRUは、すでに90年代の時点でこのような再帰的な自己実現能力を備えたミームを「Hyperstition」──Superstition(迷信)にHyper(超)を付け加えた合成語──と呼んでいた。たとえば株価や為替は、将来の予測が実際の価格の変動に影響を与えるという意味で、まさしくHyperstition的だ。ニック・ランドにとっては、資本主義とは正のフィードバック・ループを持つ自動機械なのであった。あるいは、将来の予測(フィクション)が未来の現実に影響を与える、という意味ではHyperstitionとはリアル(現実)とフィクションの関係を問い直す概念であるともいえる。
ロコのバジリスクの例も、リアルとフィクションの境界が思いのほか曖昧であることを教えてくれる。もしかしたら、私たちのリアルはフィクションによってこそ支えられているのかもしれない。
その意味では、ロコのバジリスクをフェイクニュース現象やポスト・トゥルースの観点から語ることもできるだろう。しかし、私たちはそのような現象を前にして、今さらリアル=真実を顕揚し直すことに対しても慎重にならなければならない。見てきたように、そのようなリアル/フェイク、あるいはリアル/フィクションという二項対立そのものが今まさに問い直されようとしているからだ。少なくとも、私たちはそのような時代を生きている。

現実認識を変容させる

唐突だが、筆者はアニメ『輪るピングドラム』〈※10〉15話をはじめて見たとき、とても衝撃を受けた記憶がある。本作で描かれる世界では、東京に巨大なダヴィデ像のタワーが建っている(もしくは建っていた)。そして本作品では、世界改変能力を持っている桃果というキャラクターの「運命の乗り換え」によって、ダヴィデ像ではなく代わりに東京タワーが建っている世界線に移動する経緯が描かれる。このとき、私は一瞬、今自分が生きているこの(東京タワーのある)世界は、ひょっとして桃果が引き起こした「運命の乗り換え」後の世界なのではないか、という目眩のような感覚を覚えた。私たちは、桃果と一緒にこの世界線にやってきたのではないか、と。
もちろん、これらは錯覚でしかないだろう。しかし、このとき確かに、アニメというフィクションがリアルを異化させる、言い換えればフィクションが現実認識を変容させたような気がしたのだ。フィクション(桃果による世界改変)こそが、この私たちの現実世界の可能性の条件である、という転倒かつ錯乱した認識。
似たようなことが、鳩羽つぐと呼ばれるバーチャルYouTuberと出会ったときにも起こった。
バーチャルYouTuber(VTuber)とは、生身の人間ではなく(バーチャル)キャラクターとして、(「YouTube」などで)動画や生放送をする人々・ジャンルの総称。2017年12月頃からネット上で注目されるようになり、2018年1月時点では100人程度だったが、4月には2000人と、その規模は短期間のうちに指数関数的に拡大していった。
初期の頃はキズナアイ〈※11〉のように、「YouTube」に動画をアップロードするスタイルが一般的だったが、2018年2月から活動を開始した月ノ美兎に代表されるにじさんじ〈※12〉の人気もあり、現在では主に「YouTube」における生配信というスタイルが主流になっている。
その中で、鳩羽つぐの存在はその登場以降、一貫して異彩を放っている。最初に彼女の動画が「YouTube」上に投稿されたのは2018年2月18日。ピアノ曲「愛の挨拶」が流れる中、小学校中学年程度のどこか儚げな少女が「鳩羽つぐです。西荻窪に住んでます」と自己紹介する。やがてカメラは徐々に引いていき、彼女が立っている白い空間と思われたそこは、実はどこかの薄暗い倉庫のような場所に作られた仮設スタジオであることが明らかになる。倉庫には使われていないグランドピアノが放置されており、その上には何やらコードが伸びた機材が無造作に置かれている……。
鳩羽つぐの2本目の動画は、意外なことにツイッター上にアップされた。わずか7秒のその短いクリップには、鳩羽つぐが倉庫の扉(?)を前にして何か喋っている様子が映し出されていた。しかしそこは屋外のようで、自動車の走行音にかき消され何を言っているかは聞き取れない。また、自撮りしているのか、映像も激しい手ブレによって不安定なものになっている。
さらにその1週間後、再びツイッター上に短いクリップがアップロードされる。その動画は雨の日の屋外で撮影されたようで、コートを着た鳩羽つぐは両手で傘を抱きかかえるようにして持ちながら、何かをカメラに向かって言っている。しかし、またも雨音にかき消され、言葉の内容はわからない。
この3本目の動画がツイッターにアップロードされたのが3月9日。最初の投稿が2月18日だったから、これはVTuberにしては異例なほどのスローペースだ。加えて、鳩羽つぐはほとんど情報を公開しないことでも知られる。鳩羽つぐのキャラクターデザインが、人気イラストレーターのLM7〈※13〉であることは公表されていたが、それ以外のことについては、彼女のキャラクター性も含め、名前と西荻窪在住であること以外は確かな情報といえるものはまったくなかった。
そのような状況の中、3本目の動画がツイッター上に投稿された後あたりからであろうか、鳩羽つぐについてのまことしやかな「噂」がツイッター上で出回るようになった。たとえば、鳩羽つぐは不審者に誘拐されており、彼女の動画は誘拐犯からのメッセージである、あるいは鳩羽つぐは行方不明になっており、彼女の動画は捜索のために両親が公開したホームビデオである、等々。これらの「噂」の発信源を正確に特定することは難しいが、少なくとも筆者は3月中旬の時点で、このような都市伝説を観測するようになっていた。
このような都市伝説が広まるようになった原因はおそらく複数ある。一つ目は、3月9日の動画投稿以来、しばらく音沙汰がなかったこと(鳩羽つぐが動画投稿を再開するのは3月26日である)。二つ目は、鳩羽つぐに関する情報がほとんどなかったこと。そして三つ目は、彼女の動画が、それまでのVTuberにない独特の生々しさというか実在感を伴っていたこと。
この三つ目の独特の生々しさと実在感は、彼女だけでなく、とりわけその周囲の世界にも及んでいる。このことは、鳩羽つぐの最初の動画における、キズナアイの動画のような「白い虚無の空間〈※14〉」から始まったと思いきや、「西荻窪」という具体的な場所の固有名詞の召喚とともにカメラが引いていき、そこがどこかの倉庫という現実的な空間であることが明かされるという構成に端的に示されている。加えて、ツイッター上にアップされた動画に見られる、少女の声をかき消すほど強調された環境音や、カメラで撮っていることを強調する手ブレなど、鳩羽つぐの動画は常に、「少女がどこかの場所でカメラを用いて撮っている」といった撮影の状況/過程それ自体が生々しく伝わってくるようになっている。
これらの点において、鳩羽つぐの一連の動画は「ファウンド・フッテージもの」のフェイクドキュメンタリーにも似た趣を醸し出している。「ファウンド・フッテージもの」とは、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』〈※15〉のような、撮影者が行方不明などになったため埋もれていた映像という体のフェイクドキュメンタリーである。鳩羽つぐをめぐる都市伝説においても、何者か(誘拐犯、家族など)が撮影したまま日の目を見ることがなかった映像が、何かをきっかけにインターネット上にアップロードされているのではないか、といった語られ方をされてきた。
この時期にツイッター上で拡散された都市伝説には他にも、「実は西荻窪という地名は昔のもので、今は存在していない」といったものもあった。西荻窪という地名は中央線の駅名として残っているし、近隣住民は現在も西荻窪という地名を用いるので、この情報は不正確どころかフェイクニュースに属するものだが、本当に信じてしまう人は一定数いたようだ。この頃には鳩羽つぐの「概念」化はますます進行しており、鳩羽つぐを『lain』の岩倉玲音と比較する声もしばしば聞かれるようになっていた。
この「西荻窪非存在論」は、さしずめ鳩羽つぐの「概念」化が彼女の周囲の空間をも巻き込みながら進行していった結果、一部の人々にとっては西荻窪それ自体が存在していないものとして認識されるようになったことを示している。すなわち、ここには現実そのものが改変されていく兆候が認められる。
以降、鳩羽つぐは彼女自身から自律した複数の物語を生きることになる。誘拐説、行方不明説、SCP説、双子説、鳩羽つぐを誘拐したのは自分だ説、彼女は人類が絶滅した世界におり、そこから我々にメッセージを送ってきている説、等々……。その物語を逐一紹介していくことはしない。というのも、その物語とは、おそらく彼女を観測した私たちの数だけあるからである。鳩羽つぐは遍在している。
鳩羽つぐの一連の動画は、「鳩羽つぐが生きている(生きていた)かもしれない世界」というもう一つの世界線を垣間見せてくれるという意味で、「仮想世界=バーチャル」よりも「可能世界」という言葉のほうがしっくり来る。ともあれ、鳩羽つぐという可能世界が、呪いのように観測者の脳内に侵入することで、観測者にとっての現実を異化し、相対化させる。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス〈※16〉の短編「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」は、フィクションから発生したミームが現実世界を改変してやがて崩壊に追いやるという内容だが、解釈を発散させ、複数の平行世界を横断する鳩羽つぐという存在は、崩壊まではさせずとも現実世界に絶えず揺らぎを与えている。
だが他方で、この時期以降急増していった、いわゆる「考察系」の動画やまとめブログ記事は、鳩羽つぐについての物語を暴力的に一つの解釈=真実に還元しようとする傾向を生んだ。
それらは、鳩羽つぐをめぐる多元的な世界の有り様を肯定するのではなく、むしろ反対に、世界に対して一つの「正解」を排他的に求める欲望に基づいているという意味で、陰謀論的ですらありうる。それは究極的には、ピザ屋の地下に民主党が牛耳るペドフィルの秘密結社を幻視する〈※17〉オルタナ右翼の想像力に近づいていくだろう。

「ネタ」が本当に

フィクション=ミームが現実世界に影響を与えうるということに対して、おそらくオルタナ右翼ほど自覚的だった人々はいない。彼らが生み出したケク(kek)信仰は、ランダムな数字の羅列とインターネットのデータベース=集合知に、狂信的なドナルド・トランプ信奉とケイオス・マジック〈※18〉が重なった異形のミームである。
ケク信仰の起源は2016年頃にまで遡る。kekとはもともとは「笑い」を意味するネットスラングで、オンラインゲーム『World of Warcraft』において韓国人ユーザーの間で用いられていたが、その後英語圏でも定着した。当時の「4chan」の「/pol/(Politically Incorrect)」では、投稿した際に付く8桁の通し番号が偶然キリのいい数字やゾロ目だった際に、祝福の意味でこのスラングが使われることも多かった。
この通し番号でゾロ目を出そうとする文化は、同様の掲示板スクリプトを用いている日本の「ふたば☆ちゃんねる」などでも見られるもので、たとえば確率の極めて低い7桁以上などのゾロ目を出すとちょっとしたお祭り騒ぎになるのが常だ。
さて、事件は2016年6月19日に起こった。そのとき「77777777」という、「/pol/」創設以来もっとも記念すべきキリ番の争奪戦が起こっていたのだが、それを見事に獲得したユーザーの投稿内容が「トランプは勝利するだろう」というものだったのだ。当時すでにトランプ支持者たちの巣窟になっていた「/pol/」において、この出来事はまさしく決定的な「啓示」として機能した。そう、これらは単なる確率論的な偶然ではなく、神のような存在による超越的な意志が働いているのだ、と半ば冗談半分でみなす者たちが現れてきた。
そこから、インターネットに遍在する様々な物事と情報が、奇妙な符号を帯びながら、さながらこの出来事を結節点とするかのように繋がってきた。
まず、住人はキリ番を寿ぐkekの意味をウィキペディアで調べた。すると、驚くべき事実が判明した。kekとは、古代エジプトにおける「混沌」を象徴する神、ケクを意味する言葉でもあったのだ。それだけではない。この神は蛙の頭部を持つ神だった。当時の「/pol/」では、カエルのペペと呼ばれるキャラクターが同板のマスコットとして愛されていた。このマット・フュリーのコミック『Boy's Club』に登場する蛙のキャラクターは、2008年頃から「4chan」などで人気を博するようになり、インターネット・ミームと化した。主に掲示板上のやり取りにおいて、怒りや悲しみといった感情を伴うリアクション用の画像として用いられていたこのキャラクターは、古代のエジプト人が崇めていた蛙の神の出現によって、まったく異なった意味を帯びるようになってゆく。
カエルのペペ、ケク、そしてドナルド・トランプ。これらが「/pol/」の住人にとっての三位一体となった。「混沌」を司る神、ケク信仰の誕生。
この数字のランダムな羅列から生まれた信仰は、大統領選におけるトランプの快進撃に、ケク神の意志の表れを読み取った。あるいは、対抗相手であるヒラリー・クリントンの不幸に対しても、同様に神性の顕現を読み取った。たとえば、2016年9月11日、ヒラリー・クリントンが911記念式典中に卒倒するという出来事が起こる。さらにその同日、クリントンが自身のサイト上で、突如カエルのペペを批判しはじめるという異様な出来事が重なる。クリントンはその文章で、ペペは可愛らしいマンガのキャラクターで、無垢なインターネット・ミームとして使われていたが、ここ最近はオルタナ右翼と呼ばれる白人至上主義者たちによって利用されている、と非難した。
これらのシンクロニシティを見て、ケク信者たちはこう結論せざるを得なかった。我々の信仰は、現実世界に奇妙な形で影響を与えている、と。
「兆候」はその後も次々と発見された。誰かが「YouTube」から謎の音源を発掘してきてスレッドに貼り付けた。その80年代のレコードには魔法の杖を振る蛙のキャラクターが描かれており、アーティスト名を見てみると驚くべきことにP.E.P.E.とあった。「Shadilay」というその楽曲は、すぐさまケク信者たちのアンセムとなった。
レコード盤には、P.E.P.E.とは、「Point(点)」「Emerging(立ち現れ)」「Probably(確率)」「Entering(侵入)」のそれぞれの頭文字を取ったものだと記されていた。ケク信者たちは、これらの単語を並べ替え、そしてただちに次のような意味を読み取ろうとした。すなわち、確率(P)におけるとある一点(P)を通して立ち現れ(E)、そして侵入してくる(E)、と。ケク信仰が数字の羅列という「確率」のカオスから端を発していたことを思い出してほしい。これはまさしく、あの蛙の頭部を持つ神、古代エジプトの混沌を司る神のことに間違いないように思われた。そして今やこの神の力(ミーム・パワー)が、現実世界にも「侵入」してきている、とすれば……。
ケク信者たちは、これらのミームに対する実践が現実世界と様々な関係を取り結ぶさまをミーム・マジックと名付けた。ミーム・マジックは拡散と遍在によって力を獲得し、その蓄えられた潜勢力は現実世界にも波及していく。その力の実在は、来るべきドナルド・トランプの勝利によって最終的な証明を得るだろう。
ケク信者たちによるミーム・マジックの実践は、ケキスタン(Kekistan)と呼ばれる架空の国家の創設にまで至っている。ケキスタンは架空の歴史、架空の周辺国、架空の大統領を派生的に生み出し、さらにはケクコイン(Kekcoin)というケキスタン内で流通する暗号通貨まで発行している。もちろん、国歌はあの「Shadilay」だ。
言うまでもなく、ケク信仰は彼らにとってはあくまで「ネタ」であり、本気で神の意志を信じているわけではない。だが、彼らが生み出したミーム=フィクションは、ネット空間を循環し、拡散し、増殖していく。その過程で、ケク信仰という「物語」を共有する人々が増えれば、それがドナルド・トランプ支持と密接にリンクしている限り、現実世界に何らかの影響を与えることは避けがたいだろう。その意味では、ケク信仰というミームマジックは一定の真実を含んでいる。CCRUがHyperstitionという概念によって示してみせたように。
他方で、「ネタ」という態度それ自体にも危ういものが含まれている。「ネタ」と「本気」の境目は概して曖昧であり、「ネタ」と「本気」の関係はしばしば簡単に反転しうる。たとえば、近年目立ってきたトランプ大統領支持者による過激な陰謀論「QAnon〈※19〉」は、ネットユーザーらが一つの「物語」を共有しあうという意味では、ケク信仰と大差はない。
陰謀論の信奉者は、その「物語」を「真実」とみなしているという点で、彼らは文字通り「真実」を信じている。つまり、ポスト・トゥルースという言葉に反して、そこには「真実」しかない。だからむしろ問題は、人々が「フィクション」をもはや信じることができないでいることなのかもしれない。現在のインターネットは、個々が信じる「真実」で渦巻いている。そのような状況下で、「物語」を多元的な「フィクション」=可能世界に返してやることは、果たしてできるだろうか。言い換えれば、私たちは「フィクション」をもう一度本気で信じることができるだろうか。

【了】

※1『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』
1995年に公開された日本のアニメーション映画。神経の電脳化、肉体のサイボーグ化により人間が直接ネットワークにアクセスできるようになった近未来を舞台に、凶悪化する犯罪を未然に防ぐため結成された公安警察組織、通称「攻殻機動隊」の活動を描く。

※2 黒沢清
(1955〜)日本の映画監督。97年発表の『CURE』で世界的な注目を集める。代表作に『アカルイミライ』『トウキョウソナタ』『岸辺の旅』など。

※3 白石晃士
(1973〜)日本の映画監督。フェイクドキュメンタリー形式のホラー作品を得意とする。なかでも『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズは、ニコニコ生放送での上映を通じてカルト的な人気を獲得し、氏の知名度を上げるきっかけとなった。著書に『フェイクドキュメンタリーの教科書』がある。

※4『リング』
1998年に公開された日本のホラー映画。見た者を死に至らしめる「呪いのビデオ」の恐怖と、その謎に迫る主人公を描く。鈴木光司による原作小説、映画版ともに大ヒットを記録し、ジャパニーズ・ホラーの金字塔的作品となった。

※5『利己的な遺伝子』
生物進化を遺伝子中心の視点から説明する遺伝子選択説を一般読者に向けて解説し、世界的なベストセラーとなった著作。

※6 SCP
架空の組織SCP財団が取り扱う、自然法則に反した異常な存在・場所・物体・現象の呼称、およびそれらを題材にしたユーザーらによる創作物を指す。

※7 ミーム災害
見たり認識するだけで観察者の認知に影響を与える特定のSCPオブジェクトが及ぼす一種のパンデミック現象。たとえば「SCP–040–JP」は、対象を一度観察すると以降観察者は「 ”ねこ” がいる」という観念に強く執着するようになり、またそのことを他者にも伝えようとするようになる。そして、ある程度この観念を理解した人間も、最初の観察者と同様の認識異常を被ることになる。

※8 シーシュポス
ギリシャ神話に登場する狡猾なコリントスの王。神を欺いたことで死後、地獄に落とされ、大石を山頂まで運び上げる罰を受けた。山頂まで岩を押し上げると、岩は底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。

※9『ネクロノミコン』
ラヴクラフトによる作品群であるクトゥルフ神話に登場する魔道書。忌まわしき邪神を召喚する呪文などが記されているとされ、読んだ者は例外なく発狂するとされる。

※10『輪るピングドラム』
『少女革命ウテナ』で知られる幾原邦彦監督によるテレビシリーズアニメ。三人の兄妹を中心に、ピングドラムと呼ばれる謎の物体をめぐり「運命」を変えるための物語が展開していく。

※11 キズナアイ
バーチャルYouTuber。インテリジェントなスーパーAIを自称している。2016年11月に「YouTube」において活動を開始。初期の頃は主に韓国語圏や英語圏で話題を集めていたが、2017年後半頃から日本国内でも注目されるようになり、その後のVTuberブームの火付け役となった。

※12 にじさんじ
いちから株式会社が開発するスマートフォン用アプリケーション、およびそれを用いてライブ配信を行う公式バーチャルライバー(VTuber)集団を指す。2018年2月頃から活動を開始し、2018年9月現在、にじさんじゲーマーズやにじさんじSEEDsなどを含め合計50人以上のライバーを抱える大所帯となっている。

※13 LM7
(1992〜)日本のイラストレーター。美少女と海外のコンセプトアートを融合させたような独特の作風で知られる。2017年より自身のプロジェクトである『LAVENDERQUARTZ』シリーズを手がけている。

※14 白い虚無の空間
キズナアイが普段動画を撮影している空間を本人が自虐的にこう呼んでいる。

※15『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』
1999年公開のアメリカ映画。「魔女伝説を題材にドキュメンタリー映画を制作しようとしたまま消息を絶った映画学科の学生たちが残したフィルムを再構成して映画化した作品」という設定。

※16 ホルヘ・ルイス・ボルヘス
(1899〜1986)アルゼンチンの作家。観念的かつ幻想的な短編作品で知られる。代表的な著作に『伝奇集』『エル・アレフ』『幻獣辞典』(マルガリータ・ゲレロとの共著)など。

※17 ピザ屋の地下に民主党が…
ワシントンのピザ店が児童売春の拠点となっており、ヒラリー・クリントンがそれに関わっている、とする陰謀論、またはフェイクニュースの一種。いわゆるピザゲート事件と呼ばれる。2016年11月頃からトランプ支持者たちの間で急速に広まった。

※18 ケイオス・マジック
1970年代後半のイギリスで生まれた魔術の一潮流。体系立った教義はなく、各自が自分なりの実践を開発する。このことは魔術的パラダイムシフトと呼ばれる、魔術における既成のルールを恣意的に転倒させるというコンセプトに基づいている。よって、サイエンスフィクションやラヴクラフトなど、様々な領域の諸体系からのサンプリングやリミックスからなる独自の魔術的実践が行われる。

※19 QAnon
Qを名乗るユーザーが2017年10月頃から「4chan」を中心に投稿しはじめた内容に端を発する陰謀論。および、その陰謀論を共有するトランプ信奉者たちの総称。民主党陣営と小児性愛グループとの関わりなど、ピザゲート事件と共通する要素も多いほか、「ディープ・ステート」と彼らが呼ぶ、アメリカ国家を陰で操りトランプ政権の失墜を目論む政府組織、主流メディア、一流企業からなる巨大ネットワークの存在など、より途方もない内容になっている。

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